馬場雄大選手は高校生の頃から実力が注目されており、大学4年生でアルバルク東京へ入団しプロバスケ選手となっています。
2019年には23歳にしてマーベリックスと契約し、Bリーグ出身初のNBA契約選手になりました。
今まで何度も日本代表に選出されており、2023年8月25日開催予定のワールドカップの日本代表候補にも選ばれています。
そんな馬場選手の父親は元プロバスケ選手で、高校生時代には父親から指導を受けていたんですよ。
日本だけでなく海外でも大活躍中の馬場選手について
・馬場雄大(バスケ)wiki風プロフィール
・馬場雄大の生い立ちや学歴について
・馬場雄大のバスケ経歴がすごい!
・馬場雄大の家族構成は4人!両親(父親/母親)や妹もバスケ選手
・馬場雄大の結婚した嫁は森カンナ!
これらについて徹底的にまとめました。
馬場雄大選手の強さの理由や、素晴らしい経歴、素敵な家族のエピソードなどを知ってくださいね。
馬場雄大(バスケ)wiki風プロフィール

引用:スポーティングニュース
名前:馬場 雄大(ばば ゆうだい)
出身地:富山県富山市
生年月日:1995年11月7日
年齢:27歳(2023年7月時点)
身長:198cm
体重:90kg
血液型:型
利き手:右
足のサイズ:30.5cm
所属:テキサス・レジェンズ
ポジション:シューティングガード/スモールフォワード
年齢は?
年齢:年齢:27歳(2023年7月時点)
馬場選手の年齢は27歳です。
大学4年生でプロ入りしていますので、プロバスケ選手歴は約5年になります。
まだ20代にも関わらずNBA契約選手になったり、海外のチームで活躍したりと、豊富な経験をしています。
身長は?
身長:198cm
馬場選手の身長は198cmです。
Bリーグの平均身長は191cm、NBA選手の平均身長は198cmですので、アメリカのプロバスケ選手並みの身長ということですね。
ちなみに馬場選手の父親は元プロバスケ選手であり、父親の身長は200cm!
恵まれた体格は父親譲りのようですね。
体重は?
体重:90kg
馬場選手の体重は90kgです。
高身長なだけに、体重もしっかりありますね。
バスケットボールはぶつかり合いが激しいスポーツなので、相手に押されない強い体が有利になります。
そのため馬場選手は全身の筋トレだけでなく、体感を強くするトレーニングも行っているそうです。

日本人離れした体格や身体能力は、こうした努力の結果なんですね。
プレースタイルや凄さは?
馬場選手のプレースタイルの特徴として、
・豪快なダンクシュート
・ゴール下への果敢なドライブ
・リバウンドをもぎ取る能力の高さ
が挙げられます。
まず一つ目は豪快なダンクシュート。
馬場選手はスティールが得意であり、しつこく相手をマークしボールを奪います。
スティールでボールを奪うと速攻でダンクシュートで得点するという、素晴らしい技が持ち味です。



中学生ぐらいからダンクシュートが得意で、よく決めていました。
二つ目の特徴はゴール下への果敢なドライブです。
馬場選手のポジションであるシューティングガードは、3ポイントシュートや敵陣に切り込むドライブで、得点を取る役割。
ドライブのうまさと、失敗を恐れずに果敢に3ポイントシュートを狙える能力が求められます。
力強いドライブで相手に切り込み、失敗を恐れず強気で得点を狙えることが馬場選手の特徴です。
三つ目はリバウンドをもぎ取る能力の高さです。
リバウンドとはシュートが外れたボールをつかみ取ることです。
リバウンドを取れるかどうかは勝敗に大きく関わることであり、馬場選手は高確率でリバウンドをもぎ取ることができます。
馬場選手のポジションはフォワードでありゴール近くのポジションではありませんが、フォワードの人がリバウンドに強いことはチームにとって大きな強みになります。



身体能力が高いから、リバウンドを取る能力も高いんだろうね。
馬場選手は状況に合わせて臨機応変に能力を発揮できるので、チームにとって欠かせない存在となっているんですね。
馬場雄大の生い立ちや学歴について
馬場選手の最終学歴は
大学卒業
となります。
詳しい学歴についてまとめていきます。
幼少期〜小学校時代
馬場選手がバスケットボールに初めて触れたのは、幼稚園年中の時です。
父親が転勤族であり小さい頃は新潟や埼玉などで過ごし、小学1年生で埼玉県の越谷小学校に入学しました。
そこで父親がミニバスのコーチを務めることになり、3歳年上の姉もミニバスに入ったため、退屈を紛らわせるため練習に付いていったことがきっかけです。
小学2年生のときに母親の実家がある富山市に戻り、奥田ミニバスケットボール教室に入部しています。
奥田ミニバスケットボール教室
練習場所:奥田北小学校
練習日時:月・木曜 16:50~19:00(12月~3月は、月・金)
土曜 9:00~12:00
月会費:1,500円
年会費・保険料:1,800円
父親がバスケ選手だったこともあり、馬場選手にとってバスケットボールはすごく身近なスポーツでした。
この頃からバスケの楽しさに目覚めたようで
子供の頃はリングがすごく高くて、シュートもなかなか入らない。だからこそシュートを決めたとき、ネットの揺れるのを見るとすごく嬉しかったのを憶えています。その気持ちを味わいたくて、どんどんバスケットに夢中になっていきました。
引用:日本の学校
と話しています。
奥田ミニバスでは4年生から試合に出場し、6年生でキャプテンを務めました。
しかしこの頃猛烈な成長痛があり、両足をガチガチにテーピングして痛みと戦っていたそうです。



なんと6年生の時点で168cmも身長があったんだって!
確かに成長痛も激しそう…
6年生の時の富山県大会では強豪チーム「能町アストロボーイズ」と2回戦で対戦し、1点差で勝利しました。



まさか勝てると思っておらず、チームみんなびっくりしたんだって。
そのままチームは勢いづいて勝ち進み、決勝ではアストロボーイズに次ぐ強豪の「定塚ミニ」に勝利し、優勝を果たします。
残念ながら全国大会ではボコボコに負けてしまいましたが、馬場選手にとって「頑張ればチャンスがある!」と思えるいい経験となりました。
富山市立奥田中学校
馬場選手の出身中学校は、富山市立奥田中学校です。


引用:ホームメイト
所在:富山県富山市奥井町25-10
生徒数:631人(2022年度)
奥田中学校では1年生のときから試合に出場し、2年生からスタメンとして起用されていました。
バスケ部の坂本穣治コーチの指導はとても厳しく、元旦以外の364日は練習か試合という日々を過ごしました。
授業が終わると体育館に直行し、火曜と木曜はいったん家に帰ったあと18時から21時までの夜間練習する日々。



これでも坂本コーチは馬場選手の父親から「もっと厳しく教えてくれ」と言われていたんだって。
坂本コーチは馬場選手に「お父さんを超えろ」と伝え続け、馬場選手も厳しい指導に耐えました。
馬場選手の父親は元日本代表ですので、高い目標を持たせ奮い立たせていたんですね。
また当時は外部コーチとして原田茂コーチが来ており、原田コーチも指導が細かくて厳しかったそう。
馬場選手は原田コーチの指導について
できないと怒られて、また怒られて、怒られて、どんどんメンタルが削られていくんです。あれはつらかったなあ。だけど気がつけば、それが今、全部自分の財産になっているんですね。ちょっとしたプレーのタイミングについても「そうじゃない。違うだろ」と、何度も言われて、そのたびにできない自分が情けなくて泣きたくなるんだけど、繰り返して覚えた感覚は忘れない。いつの間にか自分の身体に染み込んでいるんです。
引用:バスケット・カウント



これだけ怒られると確かにメンタルにきてしまいそう…
本当に厳しかったんですね。
しかし今となっては、この2人のコーチの指導で自分の土台ができたと感謝の気持ちを語っています。
今、僕はあの時に教えられたタイミングで走っているし、考えなくてもそのタイミングで身体が勝手に動きます。自分の土台ができたのは間違いなくあの3年間だと言い切れるし、その土台を築いてくださったのが坂本先生と原田先生だということも間違いありません。陰でいっぱい愚痴ってた中学生の僕を許してください(笑)。
引用:バスケット・カウント
厳しい練習に耐えたからこそ、今の馬場選手の活躍があるんですね。
中学時代の大会での成績は
・1年生のとき富山県大会3位
・2年生のとき北信越大会1回戦敗退
・3年生のときも北信越大会で敗退
という結果で全国大会への出場は叶いませんでした。
しかし記録以上に自分の基礎となる貴重なものを得られた、濃い3年間だったと語っています。
ちなみに現在NBAで活躍する八村塁選手は、同じ奥田中学校の後輩です。
馬場選手が3年生の時に、体格の良さや運動能力で注目されていた八村選手を、バスケ部に勧誘したことがきっかけです。
あの超有名なプロバスケ選手が、まさか同じ中学校で切磋琢磨していたんですね!
富山第一高等学校
馬場選手の出身高校は、富山第一高等学校です。


引用:wikipedia
所在:富山県富山市向新庄町5丁目1−54
生徒数:1214名(2022年4月)
設立: 1959年
偏差値:41~55
実は馬場選手、高校は富山県外の高校に進学しようと思っていました。
しかし中学2年のジュニアオールスターが終わったときに父親から
「富山第一高校でジュニアオールスターのメンバーを集めるから、お前が先頭に立ってやってくれ」と言われ、富山第一高校に進学を決めたのです。
ジュニアオールスターとは?
日本バスケットボール協会主催の、中学生のバスケットボール大会。
2019年を最後に大会は終了し、2020年より全国U15バスケットボール選手権大会に改編されている。
富山第一高校は、馬場選手の父親がバスケ部監督を務めていました。



指導者が自分の父親なんてやりづらそう…!
馬場選手は父親が監督であることについて
試合に負けたり、自分のミスで勝敗を左右してしまったりしたら、家でオフになることができませんでした。練習中、チームの流れが悪い時は一番怒られていましたが、タフになったと思いますし、今に活きていると感じます。
引用:バスケットボールキング



切り替えが難しそうだけど、この環境だったから精神的に鍛えられたのかもしれないね。
馬場選手は2年生のときからエースとしてチームを引っ張り、2年連続でウィンターカップに出場しています。
しかしウインターカップでの成績は
・2年生のとき初戦で能代工業高校(秋田)に58-111で敗戦
・3年生のとき初戦で山形南高校(山形)に55-81で敗戦
2年連続で1回戦敗退という、悔しい結果に終わりました。
しかし3年生のウインターカップでは、1試合で23得点24リバウンドという驚異的な記録を残し、身体能力の高さを見せつけました。
馬場選手はウインターカップを振り返り、
「いい思い出よりも悔しい思い出しかない。ただ、あの負けがあったからこそ大学で取り返そうと思った。」
と、大学で奮起するきっかけになったと話しています。
馬場選手の高校時代の成績一覧です。
1年生のとき
・富山県高等学校春季バスケットボール選手権大会ベスト8
・富山県高等学校新人バスケットボール選手権大会優勝
2年生のとき
・富山県高等学校春季バスケットボール選手権大会優勝
・富山県高等学校新人バスケットボール選手権大会優勝
・インターハイ2回戦出場
3年生のとき
・富山県高等学校春季バスケットボール選手権大会準優勝
・インターハイ1回戦出場



インターハイでも上位には入れなかったけれど、この頃には馬場選手の実力はかなり注目されていたんだよ。
筑波大学
馬場選手の出身大学は、筑波(つくば)大学体育専門学群です。


引用:筑波大学
所在地:茨城県つくば市天王台1丁目1ー1
生徒数:16507人(2022年5月)
説立:1872年
偏差値:55~65
高校卒業時、馬場選手には明治大学や東海大学などの多数の強豪校から声がかかっていました。
その中から筑波大学を選んだ理由は、
・杉浦佑成選手(横浜ビー・コルセアーズ所属)と同じチームでプレーできる
・体育の教員免許が取得できる
といった理由からでした。


杉浦佑成(左) 生原秀将(真ん中)、馬場雄大(右)
また人生バスケだけでは生きていけないと考え、筑波大出身だと体育の教員としてステータスが高いことも筑波大学を選んだ理由の一つでした。
馬場選手が筑波大に合格できたのは、高校の定期テストできちんと成績を残していたことも大きいと父親は言います。
高校2年生と3年生のときは、学業成績がクラスNo.1で、テストの平均が90点以上と好成績でした。



バスケの練習で忙しいながらも、きちんと将来のために勉強も両立していたんだね。
筑波大学では1年生のときからスタメンとして活躍し、筑波大学61年ぶりのインカレ優勝に貢献しました。
また2年生のインカレでは、1試合平均14.6得点5.2リバウンドの活躍を見せ優勝に貢献したうえ、大会MVPを受賞しました。
3年生のインカレでも優勝し、筑波大学はインカレ3連覇を果たしています。
この3年生のときには
・関東学生選手権優勝
・関東リーグ戦優勝
・インカレ優勝
と輝かしい成績を残し、向かうところ敵なしといった状態でした。
大学時代には様々な賞を受賞しています。
・2、3年生のとき 関東リーグ戦優秀選手賞
・2年生のとき インカレMVP
・3年生のとき インカレ優秀選手賞
この頃には国内トッププレイヤーと言われ、日本中から活躍を期待される選手となっていました。
馬場雄大のバスケ経歴がすごい!
馬場選手の凄すぎる経歴についてまとめました。
・2011年(高校1年)U-16日本代表、2012年(高校2年)U-18日本代表選出
・2015年(大学2年) 男子ユニバーシアード日本代表選出
・2017年(大学4年) 東アジア選手権日本代表に選出
・2017年(大学4年) 筑波大学バスケ部を退部、アルバルク東京への入団を発表
・2019年(23歳) ワールドカップ中国大会の日本代表に選出
・2019年9月(23歳) マーベリックスと契約しBリーグ出身初のNBA契約選手に
・2019年10月(23歳) テキサス・レジェンズと契約
・2021年(25歳) 東京オリンピックの日本代表に選出
・2023年(27歳) FIBAワールドカップ2023に出場予定
2011年(高校1年)U-16日本代表、2012年(高校2年)U-18日本代表選出
高校1年生のときに男子U-16バスケットボール選手権大会の日本代表となり、アジア3位という成績に貢献します。
また高校2年生では飛び級で男子U-18バスケットボール選手権大会の日本代表に選ばれ、アジア4位となりました。
U-18日本代表では、後にNBA選手となる渡邊雄太選手(現在NBAブルックリン・ネッツ)と共にプレーしています。


2015年(大学2年) 男子ユニバーシアード日本代表選出
大学2年生のときには、男子ユニバーシアード日本代表に選出されました。
ユニバーシアードとは?
大学卒業後2年以内の者を含む、学生を対象とした国際競技大会。
別名「学生オリンピック」とも呼ばれる。
国際大学スポーツ連盟が主催し、2年ごとに夏季、冬季の大会が開かれる。
ユニバーシアード日本代表として合宿に参加した際は、ルカ・パヴィチェヴッチヘッドコーチ(現在サンロッカーズ渋谷HC)から個別指導を受けます。


(左)馬場雄大 (真ん中)ルカヘッドコーチ
引用:yahooニュース
ルカヘッドコーチは「おまえは本能だけでプレーしている」と言い厳しい指導に当たりました。
しかし一方で「東京オリンピックに出る選手になるんだぞ」と馬場選手を鼓舞し、馬場選手の実力を伸ばしました。
この個別指導は馬場選手にもっとうまくなりたいという気持ちを燃え上がらせ、アメリカの大学に移ることを考えるようになりました。
ルカと向き合い、鍛えられたあの時間は僕にとってものすごく贅沢なもう一つの『部活』だったかもしれません。もっとうまくなりたい、もっと経験を積みたいという気持ちが膨らんで、そのためにもアメリカの大学に移ることを真剣に考えるようになりました。
引用:バスケット・カウント
実際にアメリカの大学の見学に行き、話を聞いたそうですが、「レッドシャツ」という制度のために最終的に断念しました。
レッドシャツとは?
レッドシャツとは練習生のこと。
学校の成績が基準に達していなかったり、ヘッドコーチが試合でプレーできるレベルに達していないと判断すれば、レッドシャツと呼ばれ試合に出ることができない。
馬場選手がアメリカの大学にうつっても、最初の1年間はレッドシャツとしてゲームに出ることができず、プレーできるようになるには2年かかるということ。
アメリカ行きを悩んだ馬場選手ですが、ちょうどその頃ルカヘッドコーチがアルバルク東京のヘッドコーチに就任が決まります。
アメリカの大学に行くか、プロ選手の道に行くか、すごく悩んだと言います。
しかし最終的に「部活の先生」であったルカヘッドコーチの下で学びたいと決心し、プロ選手としての道を選びました。



ルカヘッドコーチの指導があれば、自分が成長できると感じたんだね。
2017年(大学4年) 東アジア選手権日本代表に選出
2017年6月(大学4年)の東アジア選手権では日本代表に選出され、大会3位という成績に貢献しました。
選出された日本代表メンバー12名の中で、馬場選手は唯一の学生プレーヤーでした。
馬場選手は4試合すべてに出場し、平均19.6分出場・7.8得点を記録。
予選ラウンド第2戦のマカオ戦では、豪快なダンクを見せつけ会場を沸かせました。



馬場選手の持ち味のダンクシュートが炸裂したんだね。
馬場選手は大会後に「2020年の東京オリンピックで結果を出すことを一番に考えている」と話しています。
そのためには「どんな環境でも満足せず、日々の過ごし方から何事にもトライしていきたい。皆さんには期待していてほしい」と意欲をにじませました。



貪欲で強気なコメントです。
馬場選手の向上心の高さが感じられますね。
2017年筑波大学バスケ部を退部、アルバルク東京への入団を発表
馬場選手は大学4年で筑波大学バスケ部を退部し、Bリーグのアルバルク東京への入団を発表しました。
アルバルク東京に決めた理由は、前述したようにルカヘッドコーチが翌シーズンからアルバルク東京のヘッドコーチに内定していたことが一番の決め手でした。
馬場選手に、途中退部することへの恐れはなかったか尋ねると、即座に「なかったです」との返事。
「もう上しか見ていなかったので、通用しなかったらどうしようなんてことは考えていませんでした。1年でも早くレベルの高いところにいって、NBAに入るためにより良い環境でやりたいという思いだけでした」
引用:4years



早くプロの世界でプレーしたいという、強い覚悟があったんだね。
筑波大学の吉田監督は、馬場選手の異例の申し出に驚きながらも、強い気持ちを受け止めBリーグに送り出しました。
このとき吉田監督は「馬場は日本の宝だから」と話しています。



日本の宝という言葉は重みがありますね。
馬場選手の輝く可能性が分かっていたからこそ、送り出したんですね。
2017-2018年シーズンではBリーグ新人賞を獲得し、プロ入り直後から輝かしい成績を残しました。
2019年(23歳) ワールドカップ中国大会の日本代表に選出
2019年(23歳)のときワールドカップ中国大会の日本代表に選出されました。
残念ながら日本代表は32チーム中31位という成績に終わってしまいます。
しかし馬場選手は全部で5試合に出場し、1試合平均25.5分で9.2得点、2.6リバウンド、3アシストという記録を残しました。
アメリカ戦では、チーム内最多の18得点を獲得しました。
大会終了後は、
(5試合を通して)不完全燃焼ですね。雰囲気なのか分かりませんが、いつもより疲れてしまう自分がどこかにいて、気持ち良くプレーができなかったですし、楽しくプレーもできませんでした。気力でリングにアタックしましたが、それも5試合通してできたわけではないです。この結果に下を向くことなく、このような経験を多く積み重ねていくためにも、顔を上げて前を向いていきたいです。
引用:スポーツナビ
と語っています。



なかなか思うプレーができなかったんだね。
しかし最後には
でも、2020年(東京五輪)の前にこの経験ができて良かったです。来年に向けて準備していくだけですし、ここが底辺なのであとは上がっていくだけです。もう一度、自分たちと向き合って、世界レベルの水準でものを考えていきたいです。
引用:スポーツナビ
と話し、東京オリンピックへの課題と意欲をあらわにしています。
2019年9月(23歳) マーベリックスと契約しBリーグ出身初のNBA契約選手に
2019年9月にはマーベリックスと契約し初のNBA契約選手になります。
ダラス・マーベリックス
テキサス州ダラスが本拠地であるNBAのチーム。
略してマブズ、マブスと呼ばれている。
馬場選手は2019年7月に八村塁、渡邊雄太、比江島慎らと共にNBAサマーリーグに参戦し、平均12分出場、4得点、2.3リバウンドを記録する好プレーを見せます。
NBAサマーリーグとは?
NBAのシーズンオフに行われるトーナメント戦。
新人やNBA実績のない選手を、チームが契約するかどうか決定することを目的に行われる。
2019年9月17日、サマーリーグでの好プレーが認められ、マーベリックスからオファーを受けキャンプへ参加。
9月19日にはエキシビット10契約を結び、Bリーグ出身者で初のNBA契約選手となりました。
エキシビット10契約とは?
2017-18シーズンから導入された、開幕前のトレーニングキャンプに参加する招待選手向けの契約。
無保証の最低年俸での契約で、契約はシーズン開幕までとなる。
その後は解雇となるか2ウェイ契約に切り替えられる。
※2ウェイ契約:Gリーグで活動して、最大45日間はNBAチームで活動できるという契約


2019年10月(23歳) テキサス・レジェンズと契約
10月12日にマーベリックスとの契約が解除された馬場選手は、10月17日にテキサス・レジェンズと契約します。
テキサス・レジェンズ
マーベリックスの下部組織であるGリーグのプロバスケットボールチーム。
本拠地はテキサス州フリスコ。
レジェンズでは少ない出場時間ながら堅実な活躍を見せ、計41試合に出場します。
2020年(24歳) メルボルン・ユナイテッドと契約
2020年(24歳)のときにはメルボルン・ユナイテッドと契約します。
メルボルン・ユナイテッド
オーストラリアのNBLに所属するプロバスケットボールチーム。
本拠地はメルボルンのハイセンス・アリーナと、州立ネットボール&ホッケーセンター
2020-21シーズンは30試合に出場し、平均8得点、2.3リバウンド、1.2アシストの成績を残しました。
馬場選手はメルボルンのNBL制覇に貢献し、チームのDPOY(ディフェンシブプレーヤーオブ・ザ・イヤー)に選ばれました。
DPOY(ディフェンシブプレーヤーオブ・ザ・イヤー)とは?
DPOYとは、最も優れたディフェンス能力を持つ選手に与えられる賞のこと。



この年のチームでディフェンス能力が一番だったということだね!
その後の経歴は
・2021年10月23日 テキサス・レジェンズと2年ぶりに契約
・2022年3月23日 メルボルン・ユナイテッドと再契約
・2022年 ゴールデンステイト・ウォリアーズの一員としてNBAサマーリーグに出場
・2023年 テキサス・レジェンズと3度目の契約
となっています。
現在はテキサス・レジェンズに所属しプレーしています。
2021年(25歳) 東京オリンピックの日本代表に選出


引用:olympics
2021年(25歳)のときには東京オリンピックの日本代表に選出されました。
バスケットボール男子は45年ぶりの出場となるオリンピックでしたが、結果は3戦全敗の予選リーグ敗退。
しかし格上の相手に最後まで食らいつくことができ、2年前のワールドカップとは内容が異なっていたと言います。
大会直後の会見で、馬場選手は「日本のバスケは少しずつ力をつけてきています」と振り返りました。
結果を出したかったが、まだまだ力が足りていないのが事実としながらも、
「日本代表自体が世界トップレベルのチームとの対戦経験がまだまだ少ないですし、そういった部分では本当に自分たち実力でどこまでやれるのかを試せる試合でした」
引用:バスケット・カウント
と話しています。



悔しさはあったと思いますが、チームとしての成長も感じられ、次に繋がる経験ができたという清々しさもあったのかもしれないね。
2023年(27歳) ワールドカップ2023に出場予定


2023年8月25日開幕の、FIBAバスケットボールワールドカップ2023に出場予定です。
馬場選手はワールドカップ2023について
「全試合勝って番狂わせを起こして、パリオリンピックの出場をいち早く決めたい」
と話しています。



やる気に満ちあふれた、頼もしいコメントです。
ワールドカップ開幕までのスケジュールと、ワールドカップの対戦予定は以下の通りです。
・6月13日〜21日:第1次強化合宿(味の素ナショナルトレーニングセンター)
・6月25日~7月9日:静岡大会直前合宿(味の素ナショナルトレーニングセンター)
・7月8日〜9日:国際強化試合静岡大会 vsチャイニーズ・タイペイ代表(浜松アリーナ)
・7月12日~24日:韓国遠征直前合宿(味の素ナショナルトレーニングセンター)
・7月20日~24日:韓国遠征 vs韓国(ソウル)
・7月28日~8月21日:ワールドカップ直前合宿(味の素ナショナルトレーニングセンター)
・8月2日、4日:国際強化試合太田大会(オープンハウスアリーナ太田)
・8月15日、17日、19日:国際強化試合東京大会(有明アリーナ)
・8月25日:ワールドカップ 日本代表vsドイツ代表(21:10~)
・8月27日:ワールドカップ 日本代表vsフィンランド(21:10~)
・8月29日:ワールドカップ 日本代表vsオーストラリア(20:10~)
ぜひワールドカップで勝利し、2024パリオリンピックの出場権を獲得してほしいですね!
馬場雄大の家族構成は4人!両親(父親/母親)や妹もバスケ選手
・父親:馬場敏春(68歳)
・母親:馬場由香利(年齢不明)
・姉:名前は不明(30歳)
馬場選手は父親、母親、姉の4人家族です。
父親


引用:twitter
父親の名前は馬場敏春さんです。
・名前:馬場敏春(ばば としはる)
・生年月日:1955年4月26日生まれ
・年齢:68歳
・出身地:新潟県
・出身大学:法政大学
・身長:200cm
・体重:90kg
・ポジション:フォワード
・三井生命に所属しバスケットボール選手をしていた
法政大学出身で、1980年のモスクワ五輪予選の日本代表選手にも選ばれていました。
200cmと高身長であるにもかかわらず、シュートやディフェンスも上手く類まれな器用さを持つ選手として高評価されていました。
現役を引退後は富山県に移住しミニバスのコーチとして指導に当たり、その後は富山第一高校のバスケットボール監督を務めています。
馬場選手は父親を尊敬しており、富山第一高校では監督を務める父親の指導を受け練習に励んでいました。



父親をいつか超えたい!と思っていたそうですよ。
母親


引用:北日本新聞
母親の名前は馬場由香利さんです。
・名前:馬場由香利(ばば ゆかり)
・年齢:不明
・若い頃バスケットをしていた



穏やかな笑顔で優しそうなお母さんですね。
母親もバスケの経験があり、馬場選手にバスケットボールをしてほしいと思っていたそうです。
馬場選手は小学生の頃からよく食べる選手で、夕食では肉や魚を多く出したりと、食事には気を遣っていました。
馬場選手が筑波大学に進学を決め、親元を離れたときも、馬場選手の好きなカレーやミートソースを小分けにして送っていたそうです。



スポーツは体が資本ですもんね!
手料理という温かいサポートは嬉しかったでしょうね。
また馬場選手が小学生のころには、父親の口癖は「身長を伸ばせ」「目を悪くさせるな」「早く寝かせろ」でした。
その口癖を受け毎晩寝る前には、コップ一杯の牛乳を飲ませていたそうですよ。
父親の熱意と母親の温かいサポートがあって、恵まれた体格に成長したのかもしれませんね。
姉
馬場選手には姉がいます。
3歳年上ですから、現在は30歳と思われます。
お名前や写真は調べても出てこなかったのですが、姉も小学生時代にはミニバスに所属していました。
馬場選手は姉のミニバスに付いていったことがきっかけで、バスケを始めています。
現在もバスケを続けているのかは不明ですが、家族みんなバスケに馴染みがあったんですね。
馬場雄大の結婚した嫁は森カンナ!


引用:BASKET-COUNT
馬場選手の奥様は、女優の森カンナさんです。
嫁:森カンナ(森矢カンナ)wikiプロフ
・名前:森カンナ(2017年~2021年は森矢カンナ)
・生年月日:1988年6月22日
・年齢:35歳(2023年7月現在)
・血液型:B型
・出身:富山県
・出身中学:向陽中学校
・出身高校:玉川高等学校(現・世田谷総合高等学校)
・身長:168cm
・趣味:料理、動物
・職業:女優
・所属:元ソニー・ミュージックアーティスツ所属。現在はフリーで活動。
・出演作品:「ショムニ2013」「チア☆ダン」「ディア・シスター」「東京全力少女」など
SMBCコンシューマーファイナンス「プロミス」のCMにも出演
森カンナさんは、ファッション誌「mina」モデルとしてデビューしました。
2009年にはテレビ朝日「仮面ライダーディケイド」のヒロインに抜擢され、女優として注目されるようになりました。
出身は馬場選手と同じ富山県ですが、中学2年生の時に父親の転勤で、東京都杉並区の向陽中学校へ転校しています。
森カンナさんは小学3年生からバスケ部に所属しており、向陽中学校でもバスケ部で活躍します。
2年生の時には区の大会で最優秀選手に選ばれるほどの実力の持ち主でした。



この頃は本気でプロを目指していたそうですよ。
高校は玉川高等学校(現・世田谷総合高等学校)に進学しますが、バスケ部の雰囲気と合わずチアリーディング部に所属しました。
森カンナさんは自分の性格について「サバサバした性格で負けず嫌い」と話しています。
かわいらしい雰囲気とはギャップのある感じがしますが、男勝りではっきりしていて素敵ですね。
馴れ初めは?
2人の馴れ初めは、2018年12月4日の「Bリーグ・オールスターゲーム2019」に森カンナさんがアンバサダーとして就任したことがきっかけです。
もともと馬場選手のファンだった森カンナさんのほうからアプローチして、交際に発展しました。
2019年にはフライデーで2人が買い物をした後、同棲している都内のマンションに帰っていくところをスクープされています。
このときフライデーの記者から「お付き合いされていますか」と突撃質問されますが、2人そろって「はい」と返事をしています。



堂々と交際を認めていて、なんだか素敵ですね。
約2年の交際期間を経て、森カンナさんは2021年7月1日に公式インスタで結婚報告をしました。


引用:instagram
そして夫となった馬場雄大選手は、自身の公式Twitterで結婚を報告しました。


引用:twitter
子供について
現在お二人の間に子どもはいません。
まだ結婚して2年と新婚ホヤホヤですし、結婚発表の時に独立し女優業を続けると述べていますから、子どもはすぐには考えていないのかもしれませんね。
今後お互いが落ち着いたタイミングで幸せな報告が聞けるかもしれませんね。
まとめ
・馬場選手のプレースタイルは「豪快なダンクシュート」「ゴール下へのドライブ」「リバウンド能力の高さ」
・馬場選手がバスケットボールに初めて触れたのは、幼稚園年中
・富山第一高校では、監督を務める父親から指導を受ける
・2017年筑波大学バスケ部を退部、アルバルク東京への入団を発表
・2019年ワールドカップ中国大会の日本代表に選出
・2019年9月マーベリックスと契約しBリーグ出身初のNBA契約選手に
・2019年10月テキサス・レジェンズと契約
・2021年東京オリンピックの日本代表に選出
・2023年FIBAワールドカップ2023に出場予定
・馬場雄大の父親は元プロバスケ選手
・森カンナとの馴れ初めは、2018年のBリーグアンバサダー就任がきっかけ
馬場選手が学生時代から厳しい練習に耐え、現在の実力を開花させたことが分かりました。
2021年に森カンナさんと結婚し、公私ともに充実しますますの活躍が期待されます。
そんな馬場選手、今年の8月にはワールドカップに出場予定です。
みんなで馬場選手と日本代表を応援しましょう!
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