裏社会のジャーナリストと言われてる、丸山ゴンザレスさん。
人気テレビ番組「クレイジージャーニー」では、海外のスラム街や危険地域に自ら出向き、取材、調査という危険を顧みないジャーナリストとして話題になっています。
YouTubeや書籍の出版など、多岐にわたって幅広く活躍している丸山ゴンザレスさんですが、いったい何者なのか気になりますよね。
そこでこの記事では、
・丸山ゴンザレスさんのwikiプロフィールが知りたい
・丸山ゴンザレスさんの最終学歴は?
・丸山ゴンザレスさんの経歴について
・丸山ゴンザレスさんの結婚や彼女について!
これらのことを中心にまとめてみました。
丸山ゴンザレスさんのことが以前から気になっていた方も、裏社会ついて知りたい方もぜひ、最後までお付き合いください。
丸山ゴンザレスwikiプロフ

名前:丸山ゴンザレス
本名:丸山祐介
職業:ジャーナリスト、旅行作家、YouTuber、研究員、編集者
国籍:日本
出身地:宮城県仙台市
生年月日:1977年10月30日
年齢:45歳(2023年9月時点)
身長:175cm
血液型:B型
インスタグラム:@gonzales_maruyama
丸山ゴンザレスさんは現在45歳(2023年9月時点)、ということですが、正直一見すると年齢不詳な雰囲気がありますよね。
やはり海外の危険な地域を頻繁に渡り歩いているせいか、貫禄を感じます。
大学まで仙台で過ごしていた丸山ゴンザレスさんの家族は、父親、母親、姉、妹、祖母の6人家族。
父親はJRの職員をしており、趣味である釣りに丸山ゴンザレスさんも一緒に連れて行ってもらうことが多かったとのことです。

子どもの頃は父親と一緒に釣りに行く、普通の少年だったんだね!
小学生の頃、映画「インディージョーンズ」や漫画の「マスターキートン」を愛読書にしていた丸山ゴンザレスさんは、将来は考古学者になりたいと思っていたそうです。
両親にもらったお小遣いで博物館に行ったり、仙台市や東北地方にある古代遺跡へ、父親と一緒に行くこともあったとか。
子どもながらに、考古学者という夢への情熱が感じられますよね。
その後、考古学者という夢を叶えるために、考古学部のある大学へと進学しました。



やると決めたら貫き通すところは、裏社会のジャーナリストとなった今も変わっていないのかもしれないね!
身長は?
丸山ゴンザレスさんの身長は、
175cm
日本人男性の平均身長は171.6cmなので、丸山ゴンザレスさんはそれより若干高いということになります。
ただ、身長とは別に丸山ゴンザレスさんの場合は、体重が日本人男性の平均よりも大きく上回っているように見えますよね。
正確な体重は公表されていなかったのですが、見た感じだと100kgは超えているのではないでしょうか。
学生時代に柔道や空手をやってきた丸山ゴンザレスさん。
現在もトレーニングジムに通い身体を鍛えているということなので、100kgというのはただの脂肪ではなく筋肉があるからこその体重だということがわかりました。



身長だけじゃなく、体重もしっかりとある方が裏社会やスラム街では取材がしやすいのかもしれないね!
本名は?


丸山ゴンザレスさんの本名は、
丸山祐介(まるやま ゆうすけ)
になります。
ジャーナリストとして活動するときは、「丸山ゴンザレス」、執筆活動をするときは本名である「丸山祐介」や「荒井裕介(あらい ゆうすけ)」というペンネームを使用しています。
ゴンザレスという名前の由来については、特に理由はないとのことでした。
本を出版するときにペンネームを考えていたところ、
・カタカナが流行っていたので、カタカナを使った名前にしたい
・編集者が、丸山ゴンザレスさんの見た目からして怪獣のような名前が向いていると考えた
とのことから、カタカナで、怪獣のような名前を思いつく限り言っていたところ、「ゴンザレス」がピッタリはまったそうです。
確かに、「ゴンザレス」という名前だけで強そうなイメージがありますね。



「ゴンザレス」というと、野球選手やサッカー選手が思いつくね!
丸山ゴンザレスの学歴は?
丸山ゴンザレスさんの最終学歴は、
大学院卒
になります。
ではここからはより詳しく学歴をご紹介いたしますのでご覧ください。
【1984年/6歳】
仙台市内の小学校入学
【1990年/12歳】
仙台市内の中学校入学
【1993年/15歳】
仙台育英学園高等学校入学
【1996年/18歳】
國學院大學文学部入学
【2000年/22歳】
國學院大學大学院修士課程修了
高校
丸山ゴンザレスさんの出身高校は、
仙台育英学園高等学校
となります。
小学校、中学校と仙台市内の学校に通っていた丸山ゴンザレスさんは、仙台育英学園高等学校に入学しました。
実は第一志望は別の高校だったのですが、残念ながら合格することが出来ず、滑り止めで受けていた仙台育英学園高等学校へと入ることになったのです。
部活は中学生の頃から続けていた柔道部に入り、仲間と柔道に打ち込む日々を送っていた丸山ゴンザレスさん。
しかし、第一志望だった高校ではなかったことから、あまり高校生活になじむことが出来ず、毎日の生活に窮屈さを感じるようになりました。
そこで考えたのが、一人旅にでること。
青春18きっぷを片手に仙台を飛び出し、日本各地へと旅へ出ることにした丸山ゴンザレスは、
大阪、奈良、京都、滋賀、島根、鳥取などを旅しました。切符だけ買って、カバンひとつで旅をする。
駅舎や、建築中の工事現場などで野宿をしていました。『どこに行っても大丈夫』という変な度胸がつきましたね。
まるで裏社会ジャーナリストと活動する、現在の丸山ゴンザレスさんを彷彿とさせるコメントですよね。
高校生の頃から野宿を経験していた丸山ゴンザレスさん。
親の立場で考えるとかなり心配ですが、学校生活に窮屈さを感じ、悶々とした日々を過ごしていた丸山ゴンザレスさんにとって、一人旅に出ることは新たな人生の扉を開くことになったのでしょう。
その経験があったからこそ、今の裏社会ジャーナリストとしての丸山ゴンザレスさんが活躍しているのだと感じました。
大学
丸山ゴンザレスさんの出身大学は、
國學院大學文学部
となります。
仙台にいることに不満を感じていた丸山ゴンザレスさんが、次に選んだ場所が東京でした。
両親からは仙台市内の大学に進学してほしいという希望があったのですが、子どもの頃から憧れていた考古学者という夢を叶えるため、考古学学部がある國學院大學へと進むことになったのです。



最初は、一人旅の時に見た島根や鳥取の風景が気に入って、中国地方の大学を志望したみたい。



でも母親から、あまり遠くの大学に行ってほしくない、という思いを汲んで東京にしたんだって!
高校の時から始めた空手を、大学生になっても続けることになった丸山ゴンザレスさんは、早稲田大学にある学生支部に通っていました。
出版社や映像関係の会社でアルバイトをする早稲田大学の学生を見て、意外と出版関係は手に届く範囲にあると感じたものの、その頃はまだ考古学者という夢は持ち続けていたようです。


大学の夏休みなると、再び青春18きっぷを使って一人旅に出るようになりました。
1カ月ほどかけて長崎までたどり着いた丸山ゴンザレスさんの感想は、
日本は狭い。来年は海外に行こう。
だったそうです。
その言葉通り、大学生2年の夏休み、2カ月間かけてタイに滞在することになりました。
1か月間を10万円でやりくりする、という貧乏旅行でしたが、ムエタイの修行を受けるなど、充実した日々を過ごしていたそうです。



実は失恋したことが旅に出たきっかけなんだって!
それからは、長期休みになるとインド、カンボジアなど、東南アジアを中心に一人旅に出ていました。
大学では、先生たちの作業場である資料館をたまり場にし、先生の資料作りの手伝いや荷物運び、遺物修復の下作業などをして給料をもらっていたとのことです。
その後は就職はせず、國學院大學の大学院へと進むことに。
しかし思ったような勉強はできず、先輩に頼まれたアルバイトをひたすらこなし日々を過ごしていました。
結局、博士課程に行くのは諦めることになった丸山ゴンザレスさんは、私立文系考古学専攻修士号という学位だけを取って2年で卒業することになったのです。
丸山ゴンザレスの若い頃の経歴は?


【2000年/22歳】
出版&広告会社に就職
【不明】
日雇いアルバイトで生計をたてる
【不明】
測量会社に就職
【2005年/28歳】
『アジア「罰当たり」旅行』出版
【不明】
出版社に入社
【2007年/30歳】
フリーライターとして裏社会をテーマにした本を出版
【2015年/38歳】
テレビ番組「クレイジージャーニー」出演
【2022年/45歳】
「株式会社 マルヤマ製作所」を設立
【2000年/22歳~】
出版&広告会社に就職~測量会社に就職
大学院卒業後は、古美術の冊子を作っている近所の出版社に就職しました。
そこでは、飛び込みで広告掲載の営業を取ってくるという、新卒で入社した丸山ゴンザレスさんにとっては厳しい仕事内容でした。
せっかくとってきた営業も、上司が気に食わなければ精神的にマウンティングをしてくることもあり、新入りにとってはつらい毎日を過ごしていた丸山ゴンザレスさん。
さらに会社の経営も右肩さがり、上司は会社のお金を横領するなど、まさにブラック企業とも呼べる会社でした。
丸山ゴンザレスさんは早々と退職し、その後は日雇いで便利屋のような仕事をしていました。
その頃を振り返って、
人生でいちばん辛かったです。周りに似たような生活してる人たちがいたから、それほど劣等感は感じなかったけど、お金持ちを憎んでいました。
と話していました。
そんな時、声をかけてくれたのが國學院大學時代の先生だったのです。
先生の紹介で測量会社に正社員として就職することになりました。
毎日社会人として真面目に働いていた丸山ゴンザレスさんに、人生のターニングポイントとも呼べることがおこったのです。
國學院大學時代の知り合いが会社の近くにある出版社で働いており、親交を深めていると、知り合いが編集者を紹介したいと言ってくれたのがきっかけでした。
丸山ゴンザレスさんのアジア紀行を聞いた編集者は、本にすることを勧めてくれました。
そして、初めての書籍、『アジア「罰当たり」旅行』を出版。
実際に自分が書いた本を出版してみた丸山ゴンザレスさんは、
自分で本を1冊書いてみて痛感したのですが、自分で書くより人も書いてもらったほうが楽だなと思いました。そして編集者を目指すことにしました。
と思ったそうです。
【2007年/30歳~2022年/45歳】
裏社会をテーマにした本を出版~「株式会社 マルヤマ製作所」を設立
初めての本を出版した丸山ゴンザレスさんは、編集者を目指して出版社へと就職することになりました。
膨大な仕事の量で、寝る間もないほど仕事に明け暮れていた丸山ゴンザレスさんですが、「現在も編集者としての仕事ができるのは、その頃に鍛えられたおかげだ」とインタビューで語っていました。



いろいろな経験を積むことも大切だよね!
日雇いバイト時代に、裏社会を垣間見てきた丸山ゴンザレスさんは、再びフリーライターとして裏社会についての本を出版することになりました。
本名の丸山佑介名義で出版した『裏社会の歩き方』、『図解裏社会のカラクリ』は思わぬ大ヒット。
出版社としての給料とは別に、臨時収入も入り日々の生活に少しゆとりがでた丸山ゴンザレスさんは、仕事や遊びに忙しい日々を送っていました。
次第にフリーランスの仕事が入るようになり、働いていた出版社は退職。
ライターとしての活動は、タイやカンボジア、ベトナムなどアジアを中心に自ら取材に行き、得たネタを出版社に売り込む、という方法を行っていました。
フリーの仕事なので収入は安定していませんでしたが、会社員として働いている時よりは収入がよく、充実した日々を送っていたことでしょう。
そして、丸山ゴンザレスさんの名前が世間に知れ渡ることになったきっかけが、テレビ番組「クレイジージャーニー」。


誰もが行きたがらない、海外のスラム街や危険地域に自ら潜入し、取材をするというコーナーは瞬く間に話題となり、裏社会ジャーナリストとしての地位を確立することになりました。
現在では、できるだけストレスを減らす仕事をするようになった丸山ゴンザレスさん。
海外の危険地域への取材は、一般人からすればストレスを感じそうですが、丸山ゴンザレスさんは、
危険地域への取材は難易度が高いけど、やりたいから自分にとってはストレスにならないんです。
話の合わない編集者や、勢いでコントロールしたがる編集者と仕事はしたくないですね。一緒に作っていく感覚を共有できる人がいいです。
とのこと。
確かに、実際、現地に行って取材をしているのは丸山ゴンザレスさんなのに、それに合わせず、編集者が主体となった記事や本は面白くないですよね。
常に読む人のことを考えた記事や本を作っているからこそ、見ている側も興味が持てるのだと思います。
丸山ゴンザレスの結婚や彼女について
丸山ゴンザレスさんに、
彼女がいる、結婚しているという情報は見つかりませんでした。
45歳という年齢から考えて、結婚してる可能性もありそうですが、既婚者であるという情報は見つからず、彼女の情報もありませんでした。
頻繁に海外に行っていることや、一般人が好んで入り込まない、裏の社会を取材している丸山ゴンザレスさんなので、もしかすると敢えてパートナーを作らないようにしているのではないでしょうか。
スラム街や危険地域では、いつ何があってもおかしくない身なので、家庭を持たない、というのも一つの選択肢かもしれません。



危険を冒して取材しているから、癒しを与えてくれるような人がいたらいいと思うけどな。



今はいないだけで、仕事が落ち着いたら家庭を持つつもりかもしれないね!
まとめ
ここまで丸山ゴンザレスさんの裏社会ジャーナリストとして、そしてプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・宮城県仙台市の45歳
・最終学歴は國學院大學大学院修士課程修了
・考古学者を目指していた
・28歳の時に初めて本を出版する
・裏社会を取材することはストレスにならない
・結婚はしておらず、彼女もいない
となります。
常に危険とおなり合わせの取材を行う丸山ゴンザレスさん。
一般の人にとってはリスクと感じる仕事でも、自分にとってはチャンスでしかないと話していました。
これからも、私たちの知らない裏社会を、丸山ゴンザレスさんの目線で見せてくれることを楽しみにしています。