緑の魔術師と称される庭園デザイナーの石原和幸さんが、6月25日の情熱大陸に出演されます。
花柄のスーツにリボンタイ、おしゃれな眼鏡がチャームポイントの石原和幸さん。

仕事中に身につけるのはポールスミスと決めているようだよ。
一見するとお笑い芸人のようにも見えますが、実はイギリスで行われる世界最高峰の園芸コンテストで何度もメダルを受賞している、日本が誇る庭園デザイナーです。
そこで今回は、
・石原和幸さんって何者?生い立ちは?
・市原和幸さんの作る庭園の評判は?
・市原和幸さんの家族構成は?
・市原和幸さんの年収について
これらの部分について検証を進めていきたいと思います。
初めて石原和幸さんの名前をはじめて聞く方も、すでに御存知の方も、これを読むともっと石原和幸さんの庭園を見たくなること間違いなしです。
石原和幸wiki風プロフィール


市原和幸さんをの職業は、株式会社石原和幸デザイン研究所の代表取締役を務めており、庭園デザイナー、景観アーティストです。
まずは基本となるプロフィールから
名前:石原和幸(いしはら かずゆき)
生年月日:1958年01月14日
年齢:65歳(2023年6月時点)
出身地:長崎県
職業:園芸デザイナー、景観アーティスト
家族構成:妻、子ども3人
インスタグラム:@kazuyuki.ishihara
石原和幸さんは、現在も長崎県に在住しており、石原和幸さんの作る庭園には、長崎県の里山風景が垣間見えることが特徴です。
石原和幸の生い立ちや経歴は?
続いて、石原和幸さんの出身校や仕事の経歴を見ていきましょう。
- 幼少期:長崎県長崎市で生まれる。子どものころはあまり勉強ができなくて、褒められたことがなかったとのこと
- 高校時代:父親の乗っていたバイクに関心を持ち、モトクロスのレースなどに参加する
- 大学時代:久留米工業大学の交通機械工学科に入学
- マツダ時代:「マツダオート長崎」に就職し、整備士として働くが1年で退職
- 1980年/22歳:池坊で生け花の勉強を始める
- 1983年/25歳 独立:実家の牛小屋を改築して小さな花屋「花風」を開業するも、長崎大水害の被害に見舞われ、花畑や店も流されてしまう
- 1987年29歳:再び独立。長崎の繁華街で路上販売を始める
- 1993年35歳:バブル崩壊後、花が売れなくなり顧客から頼まれて庭づくりの仕事を始める
- 1999年41歳:東京に進出するが、売り上げが伸びずに会社が8億の負債を抱え2年で倒産
- 2003年45歳:チェルシーフラワー賞の存在を知る
簡単にまとめると、このようになりました。さらに詳しく見ていきましょう。
幼少期から花屋をはじめるまで
酪農農家を営む家庭に生まれた石原和幸さんは、花とは無縁のバイクに興味を持ち、世界一のモトクロスレーサーを目指していました。


その頃から、好きになったらとことんやる、世界一を目指すことを目標に何事も取り組んでいたのですね。
花を好きになったきっかけは、実家が酪農から生花へと転換したことがきっかけでした。
花を植えて市場に出荷しているところを見て、石原和幸さんも花に興味をもち、マツダオート長崎を退職して池坊に入りました。
石原和幸さんの決断力と行動力の速さには驚かされます!
長崎一の花屋を目指して!
その後は軽トラック1台を全財産として花屋として独立するも、水害で何もかも失いまたゼロからのスタート。
それでもめげない石原和幸さんは、4年後、今度は路上販売の花屋として再スタートを切りました。
地元の長崎県で一番の花屋になることを夢にスタートした路上販売。
「花を売らずに夢を売る」という熱い思いが原動力になった。顧客を喜ばせたくて、採算を度外視して花束を届けたことも。
建設通信新聞
採算は取れなくても、花を買ってくれるすべてのお客様のためを全力を尽くす、石原和幸さんの純粋な心が伝わってくる言葉ですね。
その心意気があったからこそ、2年後には長崎で30店舗を展開する、長崎で一番の花屋へと成長しました。
庭園デザイナーの誕生


バブル崩壊後、花が売れなくなったことに気づいた石原和幸さんは、顧客に頼まれた庭園作りをきっかけに、それを仕事へとシフトチェンジしたのです。
しかしその後、東京へ進出するも軌道に乗らず、8億の負債をかかえたまま店は倒産してしまいました。
ただ軽トラック1台が全財産の頃から東京進出までの道のりを考えると、石原和幸さんの不屈の精神、めげない心があったからこその道のりだったのだと思います。
その後は再び長崎に戻り、借金を返済しながらも庭園作りに精を出す日々を過ごしていました。
そんな石原和幸さんに一つの出会いがありました。
それがイギリスで行われる、最高峰のガーデンショー「英国王立園芸協会チェルシーフラワーショー」の存在でした。
45歳になった石原和幸さんはショーの権威に感銘を受け、挑戦することを決意。



その頃には、石原和幸さんは庭園を一人で作るのは難しいことに気づき、腕の良い職人を集め、石原和幸さんは庭園をプロデュースをする役割をしていたそうです!


その結果、初挑戦でシルバーギルトというゴールドの次に誇れる賞を受賞することができました。
さらに翌年、長崎市から特別表彰されました。
地元を愛する石原和幸さんにとってはシルバーギルド並みにうれしい賞だったのではないでしょうか。
その後は3年連続でゴールドメダルを獲得。
2016年には、すべての部門で1位であるプレジデントアワードを受賞しました。
出場を控えていたコロナ渦の3年間を経て、2023年再び挑戦した石原和幸さんは、今回もゆるぎないゴールドメダルを獲得。
15度の出場のうち、12回のゴールドメダルを受賞するという名実ともに世界一の庭園デザイナーとなりました。



石原和幸さんはそのほかにも羽田空港の屋内庭園「花の楽園」やJR大阪駅の「うめきたガーデン」なども手掛けています。



都会にいながらも緑を身近に感じられる庭園って素敵ですね!
石原和幸の庭園デザイナーの作品がすごい!


石原和幸さんといえば、今は亡きエリザベス女王がたとえた「緑の魔術師」ですが、その名の通り緑をふんだんに使った庭園が特徴です。



羽田空港第一ターミナルにある「花の楽園」
渋谷ハチ公前にある「庭園」も石原さんの作品なんだって!!
そこには、石原和幸さんが生まれ育った長崎の里山の風景が影響しています。
【里山とは?】
様々な生き物が人と共に生きることができる環境。人が手を加えることによって守られる、昔ながらの美しい風景。
また、自然と都会の中間にあり、それらの近くで農業や林業などで土地の利用が行われている地域のこと。
石原和幸さんが理想としているのは、人と動植物が共存できる庭園だったのではないでしょうか。
石原和幸さんが庭園を造っている姿は、まるでオーケストラの指揮者のようです。
全身を使って職人たちに指示を出し、時には雄たけびのような声で歓喜の声を上げる石原和幸さん。
感情を隠すことなくさらけ出す姿は、まるで少年に戻ったかのようにも見えます。
全身全霊で魂を込めて作られる石原和幸さんの庭園は、見る人が心奪られるような、まるで別世界に入り込んだ気分に浸れる庭園ばかりです。
石原和幸さんの作る庭園には日本の四季折々の風景を感じさせるものがあります。
それは昔の日本の風景であり、今なお人の手によって守り続けられる風景でもあります。
それを小さな庭園で再現できる石原和幸さんの発想、技術はこれからも語りづけていかなければならないものだと感じました。
石原和幸の庭園デザイナーとしての評判は?
石原和幸さんの評判は今まで依頼されてきた庭園を見てもわかるように、世界中で認められた引っ張りだこの庭園デザイナーであることは間違いありません。
個人、企業を問わず、顧客の要望も聞き入れながら石原和幸さん独自の感性で作られる庭園は誰にも真似できない世界観があります。
石原和幸さんの庭園を称賛したのはエリザベス女王だけではありません。
現国王のチャールズ国王もチェルシーフラワーショーで披露された石原和幸さんの庭園を視察に来られ、後日、手紙が送られてくることもありました。


世界の著名人からも評判の高い石原和幸さんは日本の誇りですね。
石原和幸の結婚した妻と3人の子供について!
石原和幸さんには、奥様と3人の子供がいます。


長崎の繫華街で花の路上販売を始めた29歳の時に結婚しました。
当時は売上より顧客第一で仕事をしていた時代。
そんな石原和幸さんを支えてきた奥様はまさに内助の功そのものですね。
3人の子供については、庭園作りの仕事をしているかどうかの記載はなかったのですが、世界一に輝いた父親をきっと誇りに思っていることでしょう。
石原和幸の年収は?
最後に、石原和幸さんの年収についてみていきたいと思います。
石原和幸さんの仕事は庭園デザイナーであり、株式会社石原和幸デザイン研究所の代表取締役です。
庭園をデザイン、制作をして収入を得ています。
一般的な庭園デザイナーの収入は、


平均年齢は石原和幸さんより随分と若いので、資格や経歴によって年々、収入は変化していくものだと思われます。
石原和幸さんの場合は、十分な経歴があるのでもちろんこの年収をはるかに超えた額になっています。
一般的な造園会社で依頼すると約50〜100万円が相場といわれています。
石原和幸さんの会社では、はっきりとした料金はオフィシャルサイトにも記載されていませんが、おそらくその数倍以上はすると思われます。
造園業を営む一人親方の平均年収は、約700万円から800万円です。
一方、造園業全体の平均年収は、約300万円~450万円です。20代(月収17万円~20万円)、30代(20万円~25万円)、40代(25万円~30万円)と年齢に比例して平均収入は増加します。
労災センター共済会
石原和幸さんの場合は独立しているので、約700万円から800万円ですが、チェルシーフラワーショーでゴールドメダルを取るくらいの有名園芸デザイナーなので、1000万円は軽く超えていると予想されます。
石原和幸さんは園芸デザイナーの他にも講師、講演会、テレビ出演、また吉本興業との協同プロデュースで行われている通販サイト「よしもと園芸」を運営するなど、多岐にわたっています。
文化人著名人の講演会、テレビの出演料を見てみると、
講演: 15万円~100万円以上
YOU MAY CASTING
TVへの出演: 3万円~5万円程度(タレント色が強い方はタレント相場となります)
となりました。石原和幸さんクラスの講演会となると、講演料金は30万円から60万円。
テレビへの出演はそれほど高くないことがわかりました。
これらのことから、幅広く活躍する石原和幸さんの年収はおそらく軽く見ても1500万円以上はあるかと思われます。
まとめ
ここまで、園芸デザイナーの石原和幸さんについて検証してみました。
簡単にまとめると、
・石原和幸さんは長崎出身で、現在も長崎を拠点に活動している
・モトクロスのレーサーを目指していたこともあるが、実家の稼業転換により花に興味を持つ
・独立後、長崎大水害の被害で何もかも失うが、不屈の精神で再スタートを切り、庭作りを始める
・イギリスで行われているチェルシーフラワーショーの存在を知って出場し、シルバーギルドを受賞
・15度の出場のうち、12回のゴールドメダルを受賞
・エリザベス女王、チャールズ国王にも認められる庭園デザイナーになる
・家族は妻と3人の子供がいる
・年収は1500万円以上はあると予想される
となりました。
石原和幸さんは現在も長崎市三原にある三原庭園を造り続けています。
カフェやレストラン、ショップなども併設されており、「緑豊かな憩いの空間」をテーマに作られた和風、洋風の庭が楽しめる空間になっています。
高台からは一望できる三原の里山を見ていると、三原庭園はまさに石原和幸さんの集大成ともいえる作品かもしれません。
これからも石原和幸さんの活躍が期待できますね!