河村勇輝選手は今年6月2日に、男子Bリーグの新人賞とMVPのダブル受賞を受けその実力が高く評価されました。
表彰式では祖母からの手紙に涙をこらえきれず、号泣したことも話題になりました。
2023年8月25日開催のワールドカップ日本代表候補にも選ばれており、日本を背負う選手として注目されています。
そんな河村選手を育てた両親や、祖母、家族はどんな人なのでしょうか。
この記事では
・河村勇輝の家族構成は?
・河村勇輝の両親(父親/母親)について
・河村勇輝の父親、祖母のエモいエピソード
について紹介していきます。
河村選手がどのように育てられて現在の実力あるバスケ選手に育ったのか、ぜひ知ってくださいね。
河村勇輝の家族構成は?
・父親:河村吉一
・母親
・長女
・次女
・長男:河村勇輝
河村選手の家族は父、母、姉2人の5人家族です。
河村選手は3兄弟の末っ子になります。
2人の姉(兄弟)はどんな人?
河村選手の姉はすごく勉強熱心だったそうで、
地元の進学校に入ったあと、早稲田大学を卒業しています。
河村選手は姉が勉強する姿を見て育ったため、スポーツだけでなく勉強との両立は当たり前と思っていました。
実際にしっかり勉強と両立をこなしており
・柳井中学校では学年200人中一桁の成績をキープ
・福岡第一高等学校では国公立大学進学コースに在籍
と勉強の成績も素晴らしいものでした。
特に福岡第一高校バスケ部のメンバーは、ほとんどがアスリート特進コースでしたが、河村選手は進学コースに所属していました。
テストも難しいであろう進学コースにいながら、バスケでも高成績を収めたなんてまさに文武両道ですね!
河村選手も自分自身の長所を「バスケ以外だけじゃなくて勉強もしっかりできるところ」と自負しています。

きっと両立は大変だっただろうけど、それだけ頑張ってきたという自信を感じられますね。
末っ子なのにとてもしっかりしていところは、勤勉な姉の影響が大きいのかもしれませんね。


河村勇輝の両親(父親/母親)について
父親
河村選手の父親は、
河村吉一(かわむら よしかず)さん
といいます。
職業は教員で、山口県の柳井中学校で英語教員をしながらバスケ部の顧問をしていました。
父親はバスケが大好きで、父親の部屋には1990年代のNBAのスーパースターや、国内バスケに関するビデオがたくさん揃っていました。
河村選手が小学生の頃はそのビデオを見ながら眠りにつくのが日課でした。
父親は特に田臥勇太選手の大ファンだったそうで、河村選手も影響を受け憧れを抱くように。
ビデオが擦り切れるほど何度も見た田臥選手のプレーが、同じポイントガードである河村選手の今のプレースタイルにつながっていると話しています。



身長も同じぐらいだし、親近感を感じたのかもね。
そんな父親の趣味はNBA選手のサインを集めること。
口癖は「本物しか買わない」で、ネットオークションなどで本物のサインにこだわって集めてきました。



バスケへの情熱とこだわりが伺えますね。
家に本物のサインがある環境が、自然と一流選手になるイメージを湧きあがらせていたのかもしれませんね。
母親
河村選手の母親は
父親と同じく教員
をしています。
両親が教師というだけあって、勉強や礼儀には厳しく育てられたとのこと。
河村選手はコートに入る際に一礼するというルーティンがあるのですが、これは両親からのアドバイスで始めています。
また河村選手は両親について
もちろん反抗期は人並みにあったと思います。でも、それ以上に両親を尊敬していたことが大きいですね。僕の両親は厳しい人ですが、自分はそれが愛からくる厳しさだとわかっていましたし、自分に否があるときに厳しくしてくれたので、素直に両親の言葉を聞けたのだと思います。
引用:ママスタセレクト



河村選手、人間ができすぎています!
厳しさの中には愛情があることを、ちゃんとわかっていたんですね!
河村勇輝の家族とのエピソードがエモい
父親とのエピソード
河村選手は父親からバスケを強制されたことはなく、やりたいことを尊重してもらったと言います。
河村選手は小学2年生まで野球少年で、野球チームに入る予定でしたが、スポーツショップに道具を見に行った際に急にバスケに心変わりします。
そんな突然の心変わりにも父親は何も言わず、バスケに打ち込めるように環境を整えてくれました。
・ボールが大きくバウンドして田んぼに落ちないように、自家製のネットを張った
・家庭用のナイター設備を作った
・雨が降ると庭にブルーシートを敷き、雨が止んだ後すぐにバスケができるようにした
・雨の中でバスケをして濡れたときは「風邪を引かないように」とお風呂を沸かしてくれた



好きなときにバスケができるようにしてくれて、嬉しかっただろうね。
また環境を整えるだけでなく、1対1の練習相手になったり、自宅の庭でシューティングに付きあったりと、指導者としても練習を支えました。
河村選手は
「あの庭でバスケをしたことが、自分の今までのバスケ人生のなかで基礎になっている」と話しています。



父親の愛情も含め大切な思い出になっているんだろうな。
また河村選手が19歳の時には、父親について
「自分も将来、父親になる日が来たら、子どもの自主性を重んじた上で環境をきちんと整えてあげたいな、と。『うちの父のような』父親になりたいなという思いはずっと抱いています」
引用:Number web
このように語っています。
父親を尊敬する気持ちがとても強いことがわかりますね。
バスケが好きでこだわりもあった父親ですが、河村選手には決してその情熱を押し付けることはありませんでした。
いつも温かく見守り、試合で良いプレーができたときは「今日は練習していた事が1回できたな、よかったぞ」と声をかけてくれたそうです。



まさに理想の父親像!
普段から自分を見てくれていることも伝わるので、このほめ方は自信になりますよね。
こうして褒められることがモチベーションとなり、どんどんバスケにのめりこみ、その道を極めていきました。
また河村選手が中学3年生の頃、地元の高校に進むか、オファーがあった福岡第一高校に進むか悩んでいました。
両親に相談すると「勇輝の考えを尊重する」と言い、自分で決めるように促しました。
長らく一人で悩んだ末、福岡第一高校に進学を決めています。
その決断に対して、
「勇輝の人生は勇輝自身のもの。勇輝の出した決断をサポートするよ」
と声をかけています。



父親は勉強に厳しかったから地元の高校をすすめるかと思ったけど、河村選手に決断を任せたんだね。
親の考えを押し付けず息子に決断をゆだねていることが、親子の信頼関係の深さを感じます。
おばあちゃんとのエピソード
河村選手は2023年6月2日、男子Bリーグの新人賞とMVPのダブル受賞を果たしました。
その授賞式で祖母からの手紙が朗読されると、河村選手は感情を抑えきれず涙しました。


引用:twitter
両親が教師で多忙だったため、幼い頃は朝から夜までずっと祖母の家で育てられたそう。
中学生の時は練習や試合で遅くなった河村選手を車で迎えに行ったりと、たくさんサポートをしていました。
手紙のあとのスピーチでは「バスケットを不自由なくできたのも祖母がいたから」と感謝の気持ちを述べています。
スピーチの内容はこちら。
「両親が教員ということもあって、すごい忙しくて、なかなか家にいない中、祖母の家に朝から夜までずっといた日々が続いていたので、ほんとにバスケットが不自由なくできたのも祖母がいたからなので。今も病気だったり年齢もいっていて、毎日必死に生きてる姿を見て、自分はどんなつらいことも祖母の姿を見てるとやっていけるって気持ちに毎日なっているので、ほんとに感謝したいです」
引用:スポーツ報知



涙なしでは見られない表彰式です…
両親があまり家にいない寂しさはあったかもしれませんが、祖母の温かさに支えられていたのでしょうね。
今は高齢でご病気もあるようですが、毎日必死に生きている姿が河村選手に勇気を与えているようです。
手紙は「勇ちゃんの健康を活躍を毎日祈っていますよ。頑張ってね」と締めくくられており、祖母のあふれる優しさと愛情が感じられます。
こんな温かいおばあちゃんに愛情深く育てられたから、周りに感謝を忘れない今の河村選手があるのですね。
まとめ
・河村選手の姉は勉強熱心で早稲田大学卒
・父親は英語教員で、柳井中学校のバスケ部顧問
・父親は河村選手のやりたいことを尊重し、自主性を大切にしていた
・父親は口を出さずにバスケができる環境を整え、河村選手を見守った
・祖母は多忙な両親に代わって河村選手のサポートをしていた
・Bリーグの表彰式では祖母の手紙に号泣
河村選手が両親や祖母に、たくさんの愛情をもって育てられたことがわかりました。
河村選手もそれを当たり前と思わず感謝の気持ちを持ち続けており、バスケを頑張る原動力になっています。
そんな人間性も素敵な河村選手は、今年の8月25日開催のワールドカップに出場予定です。
みんなで河村選手と日本代表の活躍を応援しましょう。


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