立体錯視の専門家で、現在、明治大学の工学博士として研究を行っている杉原厚吉さんが7月31日の”クレイジージャーニー”に出演されます。
クレイジージャーニーと言えば松本人志さんらが出演する番組で、世界で活躍する探検家や経営者、研究家などを取り上げて体験談を聞いたりするバラエティー番組です。
そこで今回は、不思議な立体錯視を研究している杉原厚吉さんのついてこんなことを検証してみたいと思います。
・杉原厚吉さんが研究する立体錯視って何が凄いの?
・杉原厚吉さんのWikiプロフィールが知りたい
・杉原厚吉さんの学歴は?
・杉原厚吉さんの経歴が知りたい!
・杉原厚吉さんの家族について!
これらのことを中心にまとめてみました。
杉原厚吉さんのことが気になっていた方も、立体錯視について知りたい人もぜひ、最後までお付き合いください。
杉原厚吉の立体錯視(さくし)の作品が凄い!
杉原厚吉さんと言えば、立体錯視の研究者として有名ですが、立体錯視とはどんな作品のことをいうのでしょう?
人が、聞いたり見たりして得た情報が実際は違うことを錯覚と言いますが、錯視は目から入った情報の錯覚のことをいいます。
その中でも、平面ではなく立体物に対して錯覚を起こす作品が立体錯視です。
言葉で説明するよりも、作品を見てもらったほうが早いですね。
杉原厚吉さんの立体錯視の作品がこちらです。

手前の立体物は、正方形が8個くっついた立体物ですが、鏡に映ったものは丸が6個くっついた立体物になっています。
何もてを加えていないのに、見る方向が変わるだけで正方形が丸に変化するなんて不思議ですよね?
杉原厚吉さんはこの作品で、2016年の第12回ベスト錯覚コンテストで2位を獲得しました。
この作品は、45度の角度で互いの立体物を見たときに、きれいに正方形と丸が見えるようになっています。
そこで、後ろにある鏡はまっすぐではなく、少し前側に倒し気味に立てられています。
杉原厚吉さんは立体錯視が起こる要因として、
人の脳は画像を見て「そこに写っている立体はこういうものだ」と思い浮かべてしまうんです。
朝日新聞デジタル
画像を見ただけでは元の立体がどんなものか分かるはずがないのに、人の脳は分かったつもりになってしまう。これが「立体錯視」という錯覚が起きる原因です。

なぜ立体錯視という作品が作れるのか気になりますよね?杉原厚吉さんは、
『こんな立体を作れば、脳はこんな錯覚を起こすだろう』ということを予測し、自分で見つけた方程式でプログラムを使って作品を作っています。
プログラムとは、作品を作る時に右から見たとき、左から見たときにそれぞれ異なる形に見えるような立体物を作るための方程式をたて、連立させて解いてみるそうです。

そういえば、中学生の時に連立方程式って習ったよね。



2つ以上の方程式を使って答えを出すことだよね。
杉原厚吉さんが立体錯視を作るようになったきっかけは、以前はロボットの目を研究していた時に、出来上がったロボットの動作確認時にだまし絵を見せてロボットが認識できるかどうか確かめたそうです。
だまし絵なのできっと認識できないと思った杉原厚吉さんでしたが、ロボットは「この画像は立体として正しい」と認識してしまいました。
杉原厚吉さんははじめはロボットの誤作動かと思ったのですが、実はそうではなく、不可能図形が実は立体化できることに気づきました。
作れないと思っていた立体が、数学を使うことで実際に立体化できたことに面白さを感じた杉原厚吉さん。
ロボットの目から立体錯視を見つけ出し、数学の観点から実際に不可能な立体錯視を作り出す杉原厚吉さんは、まるで研究者というよりアーティストのようだと思いました。
杉原厚吉のwiki風プロフィール


名前:杉原厚吉(すぎはら こうきち)
国籍:日本
出身地:岐阜県高山市
生年月日:1948年6月29日
年齢:75歳(2023年7月時点)
所属:明治大学
出身校:東京大学
杉原厚吉さんは高校までは岐阜県で過ごし、大学で東京に上京してきました。
専門は数理工学、計算幾何学ですが、近年は明治大学でだまし絵や立体錯視の研究を主に行っています。
杉原厚吉さんはだまし絵や立体錯視、数学に関する著書の他、子ども向けの立体トリックアートが作れる工作キットも販売されており、子供だけでなく大人も楽しめると評判のキットです!



立体トリックアートは夏休みの自由研究にもピッタリだね!
杉原厚吉の学歴について
杉原厚吉さんの最終学歴は
大学院卒
となります。
ではここからはより詳しく学歴をご紹介いたしますのでご覧ください。
【1955年/6歳】
高山市立西小学校入学
【1961年/12歳】
高山市立中山中学校入学
【1964年/15歳】
岐阜県立斐太高等学校入学
【1967年/18歳】
東京大学工学部入学
【1971年/22歳】
東京大学大学院工学系研究科計数工学専門課程入学
杉原厚吉さんは岐阜県高山市で生まれ、高校まで過ごしました。
子どもの頃は、昆虫採集や水遊び、冬はスキーに夢中になる一方、小学生の頃から算数や数学にも興味のある少年でした。
数学や算数は問題の答えがはっきりしており、難しい問題も方程式を使って解けばすぐに答えがでることに感動を覚えたとのことです。



だまし絵で有名なマウリッツ・エッシャーも好きだったんだって!



この頃は、大人になった自分がだまし絵の研究するとは思っていなかったよね。
岐阜県立斐太高等学校は明治に開校された高校で伝統があり、偏差値でも岐阜県の中でも197件中26位という進学校で、作家や学者、教授などを多く輩出しています。
大学は岐阜県を出て東京大学の工学部計数工学科、東京大学大学院の工学系研究科計数工学専門課程修士課程を修了し、そのまま工学部助手となりました。
杉原厚吉の経歴について
【1973年/25歳】
東京大学工学部助手、通商産業省電子技術総合研究所研究官に就任
【1980年/32歳】
東京大学の工学博士の学位を取得
【1981年/33歳】
名古屋大学工学部情報工学科の助教授に就任
【1986年/38歳】
東京大学工学部の助教授に就任
【1991年/43歳】
東京大学工学部の教授に就任
【2001年/53歳】
東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻の教授に就任
【2009年/61歳】
明治大学研究・知財戦略機構特任教授に就任
【2019年/67歳】
明治大学の研究特別教授に就任
【2020年/68歳】
世界錯覚コンテスト2020優勝
東京大学卒業後


杉原厚吉さんは東京大学大学院工学部の修士課程を修了後、そのまま工学部の助手となり、その年の7月に通商産業省電子技術総合研究所の研究官として研究に参加することになりました。
その後は再び東京大学に戻り、工学博士の学位を取得。
工学博士を取得後は、名古屋大学の助教授、東京大学の助教授を経て、43歳の時に東京大学工学部の教授に就任しました。



東京大学の教授は56歳~60歳が一番多いけど、43歳で教授になった杉原厚吉さんはよほどの信頼があったのね!
東京大学では大学院情報理工学系研究科に在籍していましたが、数理工学の研究や日常業務で忙しく、本来の立体錯視に関する研究にあまり時間をさけることができずにいるところへ、明治大学からの誘いを受け、東京大学を退職し明治大学へと移ることになりました。
明治大学へ移籍
明治大学に移ってからは立体錯視の研究をメイン行うことができました。
2020年には「立体版シュレーダー階段図形」 が世界錯覚コンテスト2020で優勝を獲得。
実際に優勝した作品がこちらです。
なんとも不思議な構造をした作品で、いったいどうやって作ったのか気になりますよね。
シュレーダーの階段図形は1858年に発表された有名な作品ですが、それに手すりを加えたことで複数の意味を持った作品ができました。
また、明治大学では身の回りで起こっている知覚現象のなぞを数学で解きあかし、生活に役立てる研究をしています。
例えば、
・地球の砂漠化
・病気の流行伝染
・経済破綻
などなど、一見すると数学と関係なさそうに見えますが、これらの現象を数式化し方程式を見つけることで、予め予測し対処することができるとのことです。



そんなことが本当にできたら凄いよね!



また見つかっていない方程式を見つけることが杉原厚吉さんの研究なのね!
杉原厚吉は結婚している?奥さんや子供について調査
杉原厚吉さんが結婚しているか、子供がいるかの情報は見つかりませんでしたが、現在75歳という年齢を考えると、結婚している可能性は高いと思われます。
また、杉原厚吉さんが立体錯視の研究をしてる様子を見て、家族から変と言われていることや、家族が寝静まってから研究について考える時間が楽しいと話している記事があったことから、生活を共にしている家族がいることは明らかです。
親が研究者だと、子供も同じ道を進む人が多いので、杉原厚吉さんの子供ももしかしたら同じ立体錯視の研究者になっているかもしれませんね。
まとめ
ここま杉原厚吉さんの研究者として、そして立体錯視ついても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・高校まで岐阜県で育つ
・立体錯視の作品が世界大会で優勝するほど凄い!
・東京大学の工学博士を取得している
・明治大学では立体錯視をメインに研究している
・結婚して子供がいる可能性が高い
となります。
杉原厚吉さんは、新しい錯視や方程式を見つけること、それを見た人が驚いてくれることに研究の楽しさがあると語っていました。
これからどんな立体錯視の作品を発表してくれるのか楽しみですね!
杉原厚吉さんの活躍に期待しています。