アドベンチャーレースの日本での第一人者と言われている田中正人さん。
過去に『クレイジージャーニー』に出演した際に名付けられたあだ名は『鬼軍曹』。
日本一自分に厳しいストイック人間ではないかと言われています。
そんな田中正人さんが2023年7月17日の『クレイジージャーニー』に再度出演し、超過酷レースに挑んだ様子が放送されることで話題に。
そこで今回は、
●田中正人のwikiプロフィール
●田中正人の学歴は高卒!出身高校は?
●田中正人の経歴について
●田中正人の家族構成は3人!子供とのエピソードが深い
について、まとめました。
田中正人のwikiプロフィール

●名前:田中正人(たなか まさと)
●出身地:埼玉県
●所在地:群馬県みなかみ市
●身長:178㎝
●体重:67㎏
●血液型:B型
●好きな言葉:為せば成る
●趣味特技:身体作り・トレーニング
●所属:Team EAST WIND
埼玉県生まれで、現在は群馬県みなかみ市在住の田中正人さんは、幼少期、運動音痴で鈍くさい子とだったと自身で明かしています。
しかし、学生時代でオリエンテーリングに目覚め、これまでに一度も優勝したことがないため、
優勝するまではやめられない!
と今でも毎日3~4時間のトレーニングをしています。

優勝を目指して、今後もまだまだレース参加を予定しているんだって!
年齢は?


田中正人さんの生年月日は1967年12月2日。
2023年7月時点で、55歳です。
1994年の27歳の頃に初めてアドベンチャーレースを開始し、既に28年。
55歳になった現在でも優勝を目指し、日々努力に勤しんでいるとのこと。
一般的な55歳と言えば、体力も落ち、定年に向けて老後は何をしようと考えている年齢だと思うのですが、まだまだ上を目指し続けている本田正人さんは、まさに『鬼軍曹』と言えるのではないでしょうか。
職業は?


田中正人さんの職業は、
アドベンチャーレーサー
です。



これを見ているだけでも、超過酷なことが予想できるね…



学生時代は協調性がなかった田中正人さんがここまでチームプレイに没頭するなんてすごいね!
しかし、アドベンチャーレーサーという肩書はあっても、これだけでは生活できるものではないとのこと。
レース開催地は日本だけではなく海外も多いため、そのための遠征費用がかかってきます。
優勝賞金が2000万円以上というレースもあるのですが、あくまでそれは優勝できたらの話のため、田中正人さんはそれ以外に、
●ランニングカメラマン(海外あり)
●地図読みの講師
●若手育成
●アウトドアスポーツの普及振興
●ラフティングのガイド業
●ファミリーアドベンチャーイベント開催
●講演会
●書籍出産
など、さまざまな活動が収入源とのこと。



いずれは、アドベンチャーレースの指導者として活動したいんだって!



メジャーなスポーツになるように世の中に一杯広げて欲しいわね!
田中正人の学歴は高卒!出身高校は?


田中正人さんの最終学歴は
高卒
出身高校は、『東京工業高等専門学校』世間では『高専』と呼ばれ知られています。
その『工業化学科』に在籍していました。
一般的な高校であれば3年間で卒業し、そこから大学や就職、専門学校などの進路を選ぶのですが、高専の場合は5年で3年間が高校過程、2年間が専門学校過程となるため、大学には進学しなかったようですね。
この学校は、
優れた技術力を持つ卒業生たちを世に送り出してきた名門校
として知られており、有名な卒業生としては、
●佐藤類(サイバーステップ株式会社社長)
●田尻智(ポケモン作者)
などがいます。



ちなみに、高校時代はオリエンテーリングの選手として活躍していたんだって!



アドベンチャーレースをやる大きなきっかけになったのかもしれないわね!
高専卒業後は、研究職に就いていることから学生時代から探求心が強い性格だったことがわかりますね。
田中正人の経歴について


【1987年/20歳】
化学会社『大内新興科学』に研究職として就職
【1993年/26歳】
第一回日本山岳耐久レース優勝
【1994年/27歳】
レイドゴロワーズ・ボルネオ大会出場
【1996年/29歳】
●群馬県みなかみ町にアドベンチャーレースのプロチーム『Team East WIND』を創設
●日本初のプロアドベンチャーレーサーとなる
【2022年/55歳】
チームキャプテンを田中陽希に託す
【1987年/20歳】化学会社『大内新興科学』に就職


高専卒業後、化学会社である『大内新興科学』に就職し、研究職として毎日没頭した日々を過ごしています。
人付き合いが苦手で研究が大好きだった田中正人さんにとってはこの会社での研究職は転職と後に語っています。
好きな有機合成実験をやっていました。本当に転職だったと思います。



今とは真逆の人生を歩もうとしていたのね!
【1993年/26歳】第一回日本山岳耐久レース優勝


研究職して仕事に没頭しながらも参加した第一回日本山岳耐久レース。
そこで優勝することに。
実は、会社員をしながらオリエンテーリングもやっていた田中正人さん。
その練習で週末に山を走るという生活を送っていたことから、このレースに参加を決意しました。



『たまたま優勝した』と言っていたけど、この優勝が田中正人さんにとって大きな転機になったんだね!
【1994年/27歳】レイドゴロワーズ・ボルネオ大会出場


山岳レースで優勝したことで、注目され始めていた頃、イベントプロデューサーから、
間寛平さんとチームを組んで、世界最大のアドベンチャーレース『レイド・ゴロワーズ』に出てみないか
と声をかけられます。
これがきっかけでアドベンチャーレーサーに転向するのですが、協調性がなく個人競技しかしてこなかった田中正人さんにとっては、初めてのチーム競技。
ここから、厳しいアドベンチャーレーサーへの道を歩むことになるのです。
レイドゴロワーズ・ボルネオ大会は超過酷なレースとして知られており、ボルネオ島で開催。



地図読み技術と山での走力を見込まれ司令塔を任されたんだって!
しかし、ジャングルのレースは初めてだった田中正人さんは、正確なナビゲーションができず序盤から大苦戦。
さらに、蜂に刺され、巨大アリに噛まれ、ヤマビルが体中に張り付きウェアが血だらけになるなど、精神的にもきつく余裕をなくしていきます。
ここで、田中正人さんの悪い部分である『協調性のなさ』が出てしまい、強引に前進してしまうのでした。
結果、レース3日目、ついに温厚だと言われている間寛平さんを怒らせる出来事が起こります。
それは、ルール違反になるからと濡れたビブゼッケンの着用を指示した田中正人さんに、間寛平さんは、
いちいち命令すんな!
という一言。
レース終了後の間寛平さんはあまりのストレスから円形脱毛症になっていたほど。



これまでに数多くのレースに出場している間寛平さんにとっても相当過酷なレースだったんだね…
当時のことについて、田中正人さんは、
チームリーダーの仕事だと思って僕がやる気を出せば出すほど、メンバーが引いていくわけです。その理由が当時まるでわかっていなかった。
と自分の自己中心的な行動や発言がわかっていなかったことを痛感していました。
続けて、
人と接する機会の少ない研究職は自分に合っていたけれど、それは苦手な人づきあいから逃げていただけじゃないのか。このままじゃ、人としてダメだ。アドベンチャーレースを突き詰めれば、自分は人間として成長できる!
と確信し、1995年に8年務めていた会社を退職。
プロアドベンチャーレーサーになったのです。
【1996年/29歳】日本初のプロアドベンチャーレーサーに


レイドゴロワーズ・ボルネオ大会後すぐに、埼玉県の実家から群馬県みなかみ町に移住。
1996年29歳の時に、日本人初のプロアドベンチャーレーサーになった田中正人さんは、アドベンチャーレースのプロチーム『Team East WIND』を創設しました。


創設当初、メンバーには、
●白石廉次郎(海洋冒険家)
●白戸太朗(トライアスリート)
●石川弘樹(トレイルランナー)
●服部文祥(サバイバル登山家)
など、さまざまなアスリートが所属していましたが、チームを離れた後は、それぞれの専門分野で活躍を見せています。
しかし、逆に才能あるアスリートが次々と離れていき、チームメンバーがなかなか定まらなかったとも。



辞めたメンバーの中には、田中正人さんと意見が合わなかったという人もいたそうよ!



現在は7人で活動していて、その中には田中正人さんの奥さんもいるんだって!
現在、『Team East WIND』では、
●アドベンチャーレ―ス関連イベントの企画・運営
●アドベンチャーレ―ス講習会の企画・運営
●プロチームの運営
●プロアドベンチャーレーサーの育成
●海外レースの情報提供と出場のサポート及び特別トレーニング
などの活動を行っています。
【2022年/55歳】チームキャプテンを田中陽希に託す


2022年55歳の時、創設時からずっとキャプテンを続けてきた田中正人さんは次期キャプテンに田中陽希さんを指名。



すごい経歴だね!



ここまでの経歴や経験を持っているメンバーだからキャプテンに推薦したのでしょうね!
そんな輝かしい経歴を持っている田中陽希さんは、グレートトラバースの挑戦を通し、いまや国民的人気を博しています。
キャプテンに就任したばかりで、まだまだチームの基盤が作れていないとのことですが、今後の活躍に期待ですね。
田中正人の家族構成は3人!子供とのエピソードが深い


田中正人さんの家族構成は3人です。
田中正人・奥さん・娘
娘さんとは、深いエピソードがあるようなので、紹介していきます。
結婚した奥さん


田中正人さんの奥さんは『竹内靖恵』さんで、『Team East WIND』のメンバーでもあります。
結婚前、靖恵さんは大手企業で翻訳・通訳の仕事をしており、1997年レイドゴロワーズ・南アフリカ大会で、通訳として同行した際に田中正人さんと出会いました。
1998年にはアラブ首長国連邦でロシア系の会社で秘書として勤務し、帰国後に『Team East WIND』の海外レースや通訳・交渉、国内レースの事務局を担当。



『Team East WIND』を裏で支える存在なんだね!
その後、2人は交際に発展。



でも、靖恵さんのお父さんから田中正人さんの収入が不安定だったことを指摘されていたそうよ!
しかし、2人の交際は順調に続き、2001年2月18日に結婚しています。
2021年2月18日には、結婚21周年を祝ってInstagramには結婚式の画像が投稿されていました。


しかし、結婚前靖恵さんは、アウトドアとは全く無縁だったことでどう夫を支えればいいのか悩んでいたとのこと。
そのため、結婚当初はとにかく生活費を稼ぐために一生懸命働いてくれていました。
今では夫婦二人三脚で『Team East WIND』の方向性を確立させました。
田中正人さんにとって靖恵さんはとても大きな存在となっていたことに違いないでしょう。
娘:徳(あきら)ちゃん


そんな田中夫婦には『徳(あきら)』ちゃんという一人娘がいます。
生年月日は明らかになっていませんが、現在の年齢は15歳とのこと。
田中正人さんは徳ちゃんのことを
自分と違って、空気を読む人格者
と言っています。



とても賢く周りのことを違った目線から見れる性格なんだろうね!
娘とのエピソード


そんな徳ちゃんと田中正人さんのエピソードがとても深いと言われています。



一体どんなエピソードなのかしら!早く聞かせて!
田中正人さんの靖恵さんは、徳ちゃんに対して小さい頃から以下のことを心掛けてきたとのこと。
●意思や思いを否定しない
●ありのままを愛する
●子ども扱いせず1人の人間として認めてあげる
●できるだけ本人に選択肢を与え、自分で決断させる
結果、今では家族でもありますが、チームでもあると話していました。
そして、徳ちゃんの行動や言動に田中正人さんが学ぶことも多く、子供から勉強させられると明かしています。
ある日、徳ちゃんが通っている学校が自宅から2.5㎞あるため、走って行こうと田中正人さんと徳ちゃんは走って投稿していたそうなのですが、1年間続けるとタイムが伸びてきたとのこと。
その時、田中正人さんの悪い癖が出てしまい、本気で走ったところ徳ちゃんに、
もうお父さんとは今後一切走らない!
と言われてしまいました。
そこで、ハッと我に返り、自分が悪かったことに気づかされたと言います。
また、田中正人さんと同様、あまり群れたりすることが好きではないようで、女子グループに入れさせられようとするのを一生懸命距離を取っているとのこと。
ですが、人に対する配慮や場を読む力はしっかり備わっていて、逆に1人で孤立している子には積極的に声をかけたり、昼ご飯を一緒に食べたり。
さらには、同級生ではなく下級生ととても仲が良いということで、田中正人さんからすれば徳ちゃんは『人格者』に思えるようです。
そんな徳ちゃんは、チームに小さい頃から交ざっているせいか、大人と対等に話を聞け、自宅に帰ってからもチームで話し合ったことに対し、夫婦で話し合っているとそこには徳ちゃんがいるとのこと。
徳ちゃんも夫婦の意見に対し、
あの時のあの人はそういう気持ちじゃないと思うよ。
とちゃんと意見を言ってくれるという、俯瞰して相手を見ることができている女の子のようです。
田中正人さんのやっていることや仕事、収入面に関しても疑問を持っていることはあるはずなのに、すごく理解してて、
まあいいんじゃない、好きなことやってくれたら
と言ってくれているとのこと。
田中正人さんにとって、可愛い娘であることには違いないですが、ある意味、対等に話せるパートナー的な存在になっているのかもしれませんね!
とても大人な関係の田中さん親子と言えるでしょう。



このような深いエピソードがあるからこと、強い絆で結ばれているんでしょうね!
まとめ
今回は、アドベンチャーレーサーの田中正人さんについて紹介してきました。
55歳という年齢ながら、まだレーサーでの優勝を目指し、ストイックにトレーニングを続けている田中正人さん。
その強靭な精神と肉体は『鬼軍曹』と言われるだけありますよね。
また、家族との絆も深く良い家庭を築けていることが伺えました。
どこまで上を目指して突き進んでいくのか、今後の活躍も楽しみですね。