全国高校野球選手権で、慶應高校をなんと107年ぶりに優勝に見事に導いた森林貴彦監督!
世紀を乗り越えたくらいの快挙に、世間は賑わいましたね。
107年ぶりの優勝ということもあり「どんな監督なんだろう?」とチーム監督である森林貴彦さんの注目度は高いです。
その功績もですが、見た目がとにかくイケメン。
お世辞抜きにしても俳優のような端正な顔立ちに、とりこになった視聴者も多いのではないでしょうか?
私もその一人です。
そこで、今回のこの記事では
・森林貴彦(慶應野球監督)さんのWikiプロフィールについて
・森林貴彦監督は、実は慶應の小学校の体育の先生?
・森林貴彦(慶應野球監督)さんの出身高校や大学などの学歴について
・森林貴彦(慶應野球監督)さんはどんな経歴の持ち主なの?字経歴にご紹介
・若い頃も、実はイケメンだったと噂の森林貴彦(慶應野球監督)!
これらのことに注目しながら、情報をまとめていきたいと思います。
森林貴彦監督がどんな経歴の持ち主なのか、また若い頃もイケメンだったのか知りたいと思っている方は必見ですよ。
森林貴彦(慶應野球監督)のWikiプロフィール

名前:森林 貴彦(もりばやし たかひこ)
国籍:日本
出身地:東京都渋谷区
生年月日:1973年6月7日
年齢:50歳(2023年8月時点)
職業:小学校教諭/高校野球指導者
となります。
現在50歳となる森林貴彦さん(慶應野球監督)ですが、とってもダンディな方ですよね。
素敵な歳の重ね方をしてきた方だなと、個人的には感じました。
俳優の寺島進さんに顔立ちが似ている感じもしますね。
森林貴彦さんのお父さんは、株式会社モリバヤシの代表取締役社長である森林和彦さんです。

お父さんの会社は木材の問屋さんです。
”森林”という苗字にピッタリなお仕事ですね。
お父さんとお顔はあまり似ていないので、森林貴彦さん(慶應野球監督)もしかしたらお母さん似かもしれませんね。
親が会社を経営しているという境遇だと跡継ぎになる話も出そうな気もしますが、森林貴彦さんは実家を継ぐという選択よりも、教師や野球への熱意が強かったのだろうと推測しています。

木材と教育は全然違う職業だけど、好きな道に進ませてくれたお父さんは素敵だね!!



本当よね!家族の支えもあったのかしら!


森林貴彦監督は慶應の小学校の体育の先生
先ほども書かせていただいたように、森林貴彦監督は小学校教諭と高校野球指導者という2つの職を持っています。
実は森林貴彦監督は、大学卒業後には一般のサラリーマンとして就職をしています。
しかし社会人になって1年目で、すでに高校野球の指導者を目指していた森林貴彦監督。
その夢を追うために、一般サラリーマンとしての生活を3年で終わらせ退職しています。(※後で詳しく後述します)
退職後の森林貴彦監督は、後に中学と高校の体育教員免許を見事に取得。
そして就職先を探していた時に、ちょうどよいタイミングで慶應義塾幼稚舎の募集を見つけ応募し採用されました。
森林貴彦監督はその後、小学校の担任の教員免許も取っていて現在は慶應義塾幼稚舎の3年生の担任を務めています。
森林貴彦監督は、2足のわらじを履いているわけですがそんな自分のことをこのように語っています。
同じ日に小学生と高校生を見られるというのは僕にしか体験できないことで、2つの人生を同時に歩んでいるような感じです。
この夏休みが終わったら生徒たちに”みんなの声援のおかげで熱い夏休みになったよ”!と伝えます。
ここで気になってくるのが、森林貴彦監督の小学校の先生としての評価ですよね?
実は、生徒や保護者からもかなり人気な先生なんです。
森林貴彦監督は、小学校の生徒からは”モリバ”というニックネームで呼ばれています。
このことからも生徒との距離が近いことが想像がつきますが、球場で練習していると生徒たちがフェンス近くまで寄ってきて「モリバー!!」と呼ぶこともあるのだそうです。
なんとも微笑ましいエピソードですよね。
また大切な大会前には、”甲子園”と書いたてるてる坊主を教室の窓に吊るしてもらうなど、子どもとのコミュニケーションはばっちりの様子です。
保護者からの信頼もとてもあり、森林貴彦監督の”自主性”を伸ばそうとする教育方針に共感を得ていたり、生徒のやる気を引き起こしてくれる素敵な先生だと評判もかなり良いのです。



小学校での先生とのつながりや信頼関係ってかなり重要だからね!



生徒たちも楽しく学校に通えてそうね♪
森林貴彦(慶應野球監督)の学歴


【1986年/12歳】
慶應義塾中途奥部 普通部入学
【1989年/15歳】
慶應義塾高等学校入学
【1992/18歳】
慶應義塾大学法学部法律学科入学
ちなみに、森林貴彦さん(慶應野球監督)の小学校は分かっていませんが中学校~大学まで慶應義塾なので、小学校も慶應義塾に入学していたと考えられます。
慶應義塾幼稚舎は森林貴彦監督の出身地である東京都渋谷区にあることからも、その可能性は高そうです。
高校野球児たちを夢の甲子園に連れていき見事に優勝に導いた森林貴彦さんは、どんな学生時代を送っていたのかとても気になりますね。
【1986年/12歳】
慶應義塾普通部入学
森林貴彦さん(慶應野球監督)の出身学校は、
慶應義塾中等部
です。
こちらは神奈川県横浜市港北区日吉本町一丁目に位置しており、私立の男子中学校となります。
中学校時代のエピソードは明かされていませんが、この頃からすでに野球をしていた可能性は高そうですよね。
【1989年/15歳】
慶應義塾高等学校入学
慶應義塾普通部を卒業した森林貴彦監督は、
慶応義塾高等学校に入学
となります。
森林貴彦さんと言えば野球、高校と言えば甲子園ですし、森林貴彦監督に甲子園出場経験があったのか興味がある方も多いと思います。
森林貴彦さん(慶応野球監督)は、高校では野球部に入部してポジションはショートです。
やはり、野球への道を突き進む高校生でした。
ここで気になるのが甲子園出場経験についてですが、森林貴彦監督は甲子園出場は果たせませんでした。
森林貴彦監督が高校生だった当時は、横浜高校や桐蔭学園、横浜商などが野球部が強豪校として知られていた時でした。
そんな中、神奈川県から甲子園までの切符を手にするのはかなり難関でした。
今も昔も、神奈川県の高校が強いというのはすごいことですよね。
森林貴彦監督の高校当時の野球成績は、高校2年生の時に春の大会でベスト8という結果でした。



順風満帆な野球選手としての経歴を持っていた…というわけではなかったんだね。



そういった悔しさも経験しているからこそ、生徒目線も大切にする素敵な監督になれたんじゃないかしら?
【1992/18歳】
慶應義塾大学法学部法律学科入学
慶応義塾高等学校を卒業した森林貴彦さんは
慶應義塾大学 法学部法律学科
に入学されました。
大学生になっても森林貴彦監督は継続して野球選手として活躍するのかと思いきや、実は大学では野球部に所属していません。
なんと大学生の時は選手としてではなく、母校である慶應義塾高校で学生コーチとして指導者の立場でした。
まだ大学生ですから、選手としてまだまだこれからの活躍が期待される部分もあったとは思いますが、森林貴彦監督は選手という立場よりも指導者として野球に関わる方が自分に向いていた、好きだと判断したのかもしれませんね。
森林貴彦さんは、自分の指導者にもあたる慶応義塾高校の監督(上田先生)ともっと一緒に野球を楽しみたいと考えていて、その監督の指導方法にかなり影響をうけています。



高校時代の恩師が森林貴彦監督に指導者という新たな道のきっかけとなったんだね!!



きっと森林貴彦監督のように、選手が野球を楽しめるように考える監督だったのかもしれないよね!
森林貴彦(慶應野球監督)の経歴


【1996年/22歳~】
NTTに入社
【1999年/25歳~】
筑波大学に進学
【2002年/28歳~】
慶應義塾幼稚舎に就職
【2015年/41歳~】
慶應義塾高校の監督に就任
【1996年/22歳~】
NTTに入社
森林貴彦監督は、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業した後はすると
NTTに入社
されています。
かなりの大手企業ですし森林貴彦監督自身も就職活動に真剣に取り組んでいたというので、念願の企業に就職できて万々歳と思いますよね。
しかし、社会人一年目にして、森林貴彦さんの心には高校野球に関わっていた時の熱い気持ちが忘れられませんでした。
そして「こうして社会に出てサラリーマンをやっていたとしても、あの時のような熱く燃えるような気持ちは経験できないんだろうな…」と寂しくも思ってしまいます。
そして、入社して1年目にして
退社を決意する
こうして自分の思いを野球へと切り替えていきました。
その後の2~3年目は野球指導者になるための資金を稼ぐ期間だと割り切って働いていました。
NTT側にしてみれば3年で辞めてしまうというのはかなりの痛手でしたでしょうが、森林貴彦監督のこの熱い想いは止まりませんでした。



大企業から野球指導者への転身かぁ~!
かなり思い切ったことでもあるよね。



それほどに野球への一途な思いがあったってことよね!!
【1999年/25歳~】
筑波大学に進学
NTTを3年で退職した森林貴彦監督は
筑波大学に進学
されました。
一度就職し退社してから再び大学に進学するというのはかなりの根気が必要ですが、森林貴彦監督は自分の野球指導者になるという夢に一直線でした。
この筑波大学では、中学校と高校の体育教員免許を取得しています。
入学して1年目の時は学部の授業に出席、そしてのちに大学院の社会人入試に合格したので2年目からは大学院へ進学しています。
ここではコーチング論研究室に所属して、体育理論や指導者としてのノウハウを学んでいきます。
そして、この筑波大学には3年間在籍し、私立のつくば秀英高校では夢である野球部のコーチも務めていました。
一度社会に出たから得たであろう経験も、きっと森林貴彦監督の指導方針に影響を与えたのではないでしょうか?
この頃を振り返り、森林貴彦監督は「自分で稼いだお金で大学に通って、コーチもできるなんて、一日一日がとても充実した毎日でした。」と語っています。
【2002年/28歳~】
慶應義塾幼稚舎に就職
筑波大学を卒業した後の2002年には、慶應義塾幼稚舎の求人を見た森林貴彦監督は早速応募し、見事に就職しています。
この慶應義塾幼稚舎では、体育科講師を務めることになりました。
そして2年目には明星大学通信教育課程で、見事に小学校教員免許を取得。
慶應義塾幼稚舎の専任教諭となっています。
次々と教育者としての資格を取っていく森林貴彦監督。
好きなことへの情熱がうかがえる経歴ですよね。
また、2012年には慶應義塾高校野球部助監督を兼務しています。
母校の野球部に携われたことは、きっとかなりうれしい出来事だったのではないでしょうか?
【2015年/41歳~】
慶應義塾高校の監督に就任
その後の2015年には慶應義塾幼稚舎でクラス担任をしながら、慶応義塾高校のコーチに就任しました。
慶應義塾高校野球部に就任して3年目の2018年には、9年ぶりの春の選抜大会に出場という結果を残しています。
そして2023年に開催された第105回全国高等学校野球選手権大会では、チームを見事に優勝へと導いています。
森林貴彦監督の考える指導方針には、多くの方の共感をえています。
・エンジョイ・ベースボールがモットー(野球を楽しみながら勝利を目指す)
・選手目線の野球のやり方を考える
森林貴彦監督はこれまでの高校野球のような、選手全員丸坊主で厳しい練習をするというような高校野球ではいけないと感じ、長時間に渡る練習や髪型は自由にするなど選手目線も大切にした指導でも注目を集めました。
また、自分の呼び方も監督と呼ばずに「森林さん」と呼ぶように生徒たちに伝えています。
監督という呼び名と個人名での呼び名では選手との関係性もかなり変わりますもんね。
この指導方針は、サラリーマンを辞めたあとの生活で得た経験からとのこと。
当時、家賃3万5000円の築30年のアパートで一人暮らししながら指導者を目指していた森林貴彦さん。
野球以外の陸上やスピードスケートなどのスポーツ選手と関わる中で、「これまでの野球界の常識にがんじがらめになるのはダメだ。」と考え、現在の指導方針にたどり着きました。



生徒が野球をする上で、楽しみながら取り組めるように考えているのが本当に素晴らしいよね!!



髪型自由などの指導方針に、心無いヤジを受けたこともあったみたいだけど、こうして結果を出した今、文句は言わせない…よね!!
森林貴彦(慶應野球監督)は若い頃もイケメンと話題


野球指導者としての森林貴彦さんの魅力はもちろんですが、その見た目にもかなり注目が集まっています。
本当に、とってもかっこいい端正な顔立ちですよね。
そんな森林貴彦さん(慶応野球監督)の若い頃もイケメンだったと話題になっています。
それがこちらです。




こちらは、大学生当時の森林貴彦さんです。
時代を感じる写真ですね。
この頃も鼻筋が通っていて、綺麗な顔立ちをされています。
そして、次に紹介するのが学生コーチをしていた頃の写真です。




写真の移りにもよるとは思いますが、こちらの写真の方が現在の森林貴彦さんに近い感じがしますよね。
選手たちに慕われているのが、よくわかる写真です。



めちゃくちゃ男前だねー!!男から見ても男前だー!!



こんな甘いマスク…女性が放っておかなさそうだねwww


まとめ
ここまで森林貴彦さん(慶應野球部監督)について色々と書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?
最後にまとめると…
・出身は東京都渋谷区で50歳(2023年8月時点)
・職業は小学校教諭(慶應義塾幼稚舎3年生の担任)と高校野球指導者
・最終学歴は慶應義塾大学法学部法律学科
・大学卒業後にNTTに入社し3年で退社
・その後は筑波大学に進学し、教員免許を取得
・2002年に慶應義塾幼稚舎に就職
・2015年には慶應義塾高校の監督に就任する
となります。
新しい高校野球の形を追求し、見事に結果も出した森林貴彦監督。
その生徒に対する指導の仕方は、高校だけで通用するものではなく社会人になっても通用するような指導法で多くの方の共感を得ています。
これからも、野球指導者として生徒たちとの素敵な関係を築き、私たちを感動させてくれることでしょう。