『ファイナルファンタジーXIV』、『ファイナルファンタジーXVI』の制作をプロデュースする、ゲームクリエイターの吉田直樹さんが7月23日の情熱大陸に出演されます。
ファイナルファンタジーと言えば世界中でプレイされている、日本が誇るゲームです。
ゲーム業界やファンの間では吉Pの愛称で呼ばれ、知らない人はいない圧倒的な存在感がある吉田直樹さんですが、今回はこんなことを検証してみたいと思います。
●吉田直樹さんのプロフィールが知りたい!
●吉田直樹さんの伝説エピソードって何?
●吉田直樹さんの生い立ちや経歴、学歴が知りたい
●吉田直樹さんの家族構成は?
吉田直樹さんのことが気になっていた方も、ゲームが好きだという方もぜひ、最後までお付き合いください。
吉田直樹wiki風プロフィール

名前:吉田 直樹(よしだ なおき)
ニックネーム:吉P、ジャラジャラおじさん
国籍:日本
出身地:北海道札幌市
生年月日:1973年5月1日
年齢:50歳(2023年7月時点)
職業:ゲームクリエーター、ゲームプロデューサー
肩書き:取締役執行役員(開発・部門担当)、第三開発事業本部長
結婚:既婚
吉田直樹さんは北海道札幌市に生まれ、小学1年生の頃に函館に引っ越します。
北海道といえば雄大な自然とおいしい食べ物が有名ですよね。
吉田直樹さんも北海道の中でも札幌、函館という都会で子ども時代を過ごしていますが、北海道の自然を間近にのびのびと育ってきたのではないでしょうか。
子どもの頃からゲームが好きだったという吉田直樹さん。
ゲームをする側だけでなく、ゲームを作る開発者になりたいという夢を持ち続け、現実のものとした吉田直樹さんは、よほどの行動力と決断力の持ち主なのだと思います。

子どもの頃は”マリオブラザーズ”に夢中になっていたんだって!
年齢は?
吉田直樹さんの現在の年齢は、50歳(2023年7月時点)
日本のゲーム開発者の平均年齢は33.7歳で比較的若い世代に多いですが、60歳台のゲームクリエイターもいるなど、実際は幅広い年齢に人が活躍しています。
50歳の吉田直樹さんは有名ゲームクリエイターの中では真ん中あたりの年齢に位置し、若い世代からの支持も厚いです。
吉田直樹さんと言えば、茶髪でシルバーのアクセサリーをじゃらじゃらとつけており50歳には見えないですよね。
そんなルックスも若い世代から親近感を持たれる所以なのでしょう。
あだ名


吉田直樹さんのあだ名は、”吉P”、”ジャラジャラおじさん”です。
吉田直樹さんは、ゲーム業界やファンの間では吉Pというあだ名で呼ばれることが多いです。
いつから呼ばれるようになったかは明らかではありませんが、2010年に『ファイナルファンタジーXIV』のプロデューサー兼ディレクターに就任したことをきっかけに、吉Pと呼ばれるようになったのではないかと思われます。
それまではディレクターをしていることが多かったですが、2010年の『ファイナルファンタジーXIV』でプロデュースを任されることになり、次第に吉Pの愛称で親しまれることになったのでしょう。
ジャラジャラおじさんというのは、見た目の通り、シルバーアクセサリーをじゃらじゃらつけていることから、そのあだ名がつけられました。



ジャラジャラおじさんは、ネタで呼ばれることが多いみたい!
有名なゲーム作品
吉田直樹さんの主な有名なゲームは、
などがあります。
”ドラゴンクエスト”も”ファイナルファンタジー”も日本で知らない人はいないゲームですよね。
専門学校卒業後に就職したハドソンでは”天外魔境”シリーズや”ボンバーマン”シリーズに携わっていましたが、ゲームクリエイターとして本格的に始動したのは、スクウェア・エニックスに入社し”ドラゴンクエストオンライン”の制作を始めた頃です。
この後にも紹介しますが、立て直しに貢献したファイナルファンタジーXIV(FF14)はアカウント数が2700万人を突破するという快挙を成し遂げています。
MMOのアクティブプレイヤー数では、海外で爆発的な人気の”ロストアーク”や総プレイヤー数がギネスに登録されている”World of Warcraft”よりも多く、国内外問わず人気なのことがよくわかります。
MMOとは
Massively Multiplayer Online(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン)の略。インターネットを介して、ひとつのゲームに数百人から数千人規模のプレイヤーたちが同時に参加できるオンラインゲームのこと。
ゲームといえば、家庭ゲーム機を使ったゲームが主流だった日本ですが、海外ではオンラインゲームが盛んに遊ばれていました。
日本はオンラインゲームの後進国でしたが、”ファイナルファンタジーXIV”の開発で日本のオンラインゲームの凄さをアピールできたのだと思います。



”World of Warcraft”は吉田直樹さんが衝撃を受けたゲームで、”ファイナルファンタジーXIV”のお手本にもさせてもらったんだって!
吉田直樹(吉P)のすごい伝説エピソード3選!


続いて、吉田直樹さんのすごい伝説エピソードを紹介します。
●ハドソンの面接で挑戦的なことを発言
●ファイナルファンタジーXIV(FF14)の立て直し
●根っからのゲーマーで今でもゲーム大好き!
ハドソンの面接では、右肩下がりだった業績を自分が立て直したい!ということを、本当なら遠回しに伝えるのが面接ですが、吉田直樹さんは自分の思っていることをまっすぐにそのまま伝えました。
就職先にあえて業績の悪い会社を選び、自分の実力で立て直してみせる、という正義感はのちのファイナルファンタジーXIV(FF14)の立て直しへと通じるものがありました。
ファイナルファンタジーXIVは開発当初はずさんなもので、テスト期間にプレイした一般ユーザーからは批判の声が多数あがっていました。
それを何とかしようと任命されたのが、吉田直樹さんでした。
ハドソンの面接で語っていた、自分が業績を立て直して見せると豪語したあの時、まさか自分がファイナルファンタジーXIV(FF14)の立て直しに携わり、それに成功するとは思ってもいなかったことでしょう。
どんな些細な仕事でも精一杯やる、という思いと、吉田直樹さんだからこそできるアイディアと技術は誰にもまねできない唯一無二の魅力だと感じました。
ちなみに、吉田直樹さんは自分でゲームを作るだけでなく、他社のゲームもこよなく愛する根っからのゲーマーです。



他社のゲームを尊重するところに吉田直樹さんの根本のゲームを愛する気持ちが感じられるね!



きっとゲーム開発の参考としてだけでなく、ただゲームを楽しみたいという気持ちもあるのね!
吉田直樹の生い立ちと学歴
吉田直樹さんの最終学歴は、専門学校卒です。
ではここからはより詳しく学歴をご紹介いたしますのでご覧ください。
【1980年/6歳】
小学校入学
【1986年/12歳】
中学校入学
【1989年/15歳】
函館稜北高校入学
【1992年/18歳】
ハドソン系列の専門学校入学
幼少期〜小学生時代
吉田直樹さんは札幌で生まれ、小学1年生の時に函館に引っ越しました。
幼いころからゲームが好きで、その中でも「マリオブラザーズ」に夢中になってプレイしていたそうです。



マリオブラザーズは1983年に任天堂が発売したゲームで、最近は映画にもなったよね!
マリオブラザーズは発売当初から爆発的な人気があったので、吉田直樹さんのみならず、まわりの子どもたちはみんなゲームに夢中になっていました。
そんな中、吉田直樹さんはただゲームを楽しむだけでなく、ゲームを作る側になりたい!という夢を抱き、小学校の卒業文集にも”ゲームプログラマー”になると書いていたそうです。
函館稜北高校
高校は地元の函館稜北高校に進学しましたが、現在は再編統合により閉校してしまいました。
その頃の吉田直樹さんは素行不良でいわゆるヤンキーでした。
ゲーム好きいうと、オタクをイメージしがちですが吉田直樹さんは中学生の頃からヤンキーで荒れた学生時代を過ごしていました。
そんな荒れた中学高校時代を過ごした吉田直樹さんも、ゲームへの夢は捨てておらず、高校卒業後は本格的にゲームプログラマーとしての道を切り開くべく、ゲームの専門学校へと進むことになりました。
大学ではなく専門学校卒!
吉田直樹さんは大学ではなく、ハドソン系列の専門学校の卒業です。
今ではハドソンは存在しないので、したがって専門学校もないですが、1980年代後半のハドソンと言えばゲーム業界に多大な影響力を持ち、幅広い世代から愛されたゲーム会社でした。
吉田直樹さんは第一種情報処理技術者試験(現:応用情報技術者試験)の資格を持ち、様々なコンピュータ言語をマスターしています。
社会人になってから資格を取ったとは考えにくいので、専門学校在学中に取ったものでと考えられます。
中学高校とヤンキー時代を過ごしてきた吉田直樹さんですが、専門学校に入ってからは真面目に勉強を続けていたことがわかりますね。



やっぱり子どもの頃からの夢を叶える!という強い気持ちがあったんだね。
吉田直樹の経歴について
【1993年/20歳】
ハドソン入社
【2005年/32歳】
スクウェア・エニックスに入社
【2015年/42歳】
執行役員の開発担当に就任
【2018年/45歳】
取締役兼執行役員に就任
【2019年/46歳】
第三開発事業本部長に就任
【1993年~2005年】
ハドソン入社、退社からスクウェア・エニックス入社


専門学校時代からハドソンでアルバイトを続けていた吉田直樹さん、そのままハドソンへと入社しました。
業績が下がっていたハドソンを立て直すべく入社した吉田直樹さんでした、ハドソンでは新しいゲームの開発をするのではなく、現存するゲームの続編を作るなど安定を目指した業務体系でした。
どんな仕事でも熱心に取り組む吉田直樹さんでしたが、やはり自分の想いとは真逆の仕事をさせられることに理不尽さを感じ、退社することになりました。
その後、ドラゴンクエストのオンライン版を作るため、齊藤陽介さんの誘いでスクウェア・エニックスに入社します。



齊藤陽介さんはスクウェア・エニックス取締役執行役員で、ドラゴンクエストの開発を手掛けていました!



齊藤陽介さんはよーすぴってあだ名でみんなに親しまれているんだよ!
【2015年~現在】
スクウェア・エニックス執行役員から「ファイナルファンタジーXIV(FF14)」発売
スクウェア・エニックスに入社後、「ドラゴンクエスト モンスターバトルロード」を制作、「ドラゴンクエストX」ではチーフプランナーとして開発に携わりました。
その後はドラクエの開発からは手を引き、「ファイナルファンタジーXIV」の開発を手掛けることになりました。
先ほどの記述しましたが、「ファイナルファンタジーXIV」は当初出来が悪く、このままでは発売が危ぶまれるという状態でしたが、それを脱却すべく任命されたのが吉田直樹さんでした。
オンラインゲーム後進国だった日本で、世界に通用するオンラインゲームを作るために吉田直樹さんは改修、バージョンアップを繰り返し再発売に至りました。
吉田直樹さんが再開発に参考にしたのが、”World of Warcraft”。
『FF14』は『WoW』をお手本にさせてもらいつつ、より強く王道のストーリー展開に注力したもの、すなわちまっすぐに「世界を救う」ゲームを目指すことにしました。
朝日新聞デジタル
ゲームマニアの吉田直樹さんが実際にプレイしているからこそ、”World of Warcraft”の使いやすいさや作品としての魅力を十分に理解しリスペクトした結果、”World of Warcraft”が「ファイナルファンタジーXIV」のお手本となったのでしょう。
その結果「ファイナルファンタジーXIV」は、累計登録アカウント数が2700万を突破する驚異的なゲームとなり、吉田直樹さんの名を世界中のゲームファンに知らしめる作品となりました。
吉田直樹は結婚して嫁と子供がいる?
さて、ここまで吉田直樹さんの経歴や凄さについて検証してきましたが、ここからはプライベートについて見ていきましょう。
吉田直樹さんの家族は、奥様、息子の3人家族です。
吉田直樹さんは、結婚して奥様がいることは公表していましたが、どんな人なのか語っている記事は見つかりませんでした。
息子についても、「ファイナルファンタジーXIV」をプレイしていることを一度話したきりで、それ以外の話は出てきていません。
多忙な日々を過ごす吉田直樹さんにとって、家族の支えは重要です。
なかなか家族としての時間を過ごすことが難しいですが、息子がゲームをしているとのことで、親子でゲームという共通点があることは父親にとって嬉しいですよね。



もしかすると、息子の意見もゲーム開発の参考にしているかもしれないね!
まとめ
ここまで吉田直樹さんのゲームクリエイターとして、そしてプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・北海道札幌市出身の50歳
・最終学歴はハドソン系列の専門学校である
・最初に就職したハドソンでは思った仕事ができずに転職することになる
・ドラクエオンライン版をつくるためスクウェア・エニックスに入社
・ファイナルファンタジーXIV(FF14)の立て直しに貢献
・家族は奥様と息子の3人家族
となります。
「ファイナルファンタジーXVI(FF16)」の発売を控え、情熱大陸ではどのような吉田直樹さんの魅力が紹介されるのか楽しみですね。
これから、さらに想像を超える面白いゲームが発売されることを期待しています!