吉本興業の漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」は、関西で大人気の漫才コンビです。
おかけんたさんは「いい声の芸人ランキング」にも上位に入る特徴的な声のもちぬしで、ドナルドダックのモノマネも披露している事でも有名ですね。
さて、ダウンタウンと同世代で、生粋の漫才師コンビである「おかけんた・ゆうた」ですが、
おかゆうたさんについては、プライベートが謎に包まれた方なので、いろいろ気になりますね♪
そこでこの記事では…
●おかゆうたの家族構成
●おかゆうたは現在激痩せしている?
●おかゆうたのWikiプロフィール
●おかゆうたの経歴
これ等について、気になる情報をまとめていきたいと思います。
おかゆうたの家族構成
おかゆうたさんには息子と娘がいらっしゃいますが、現在奥様がいらっしゃるかは明らかになっていません。
おかゆうたの家族構成
●妻?
●息子
●娘
おかゆうたの妻(嫁)と子供は?
長男である井元拓斗さんが、喪主を務めると明らかになっており、京都大学法学研究科の特別研究員ではないか?と言われています。
現在家族の事で明らかになっているのは、
●長男:井元拓斗(2023年 満32歳)
●長女:名前・年齢不明(31歳以下)
お嬢様の詳細は明らかにされていませんが、結婚して子供がいらっしゃる事がわかっています。
井元拓斗さんのSNSによると「妹の子供」と題して姪子さんの事を綴っていらっしゃいます。
しかしご家族の顔画像等は一切公表されていません。
奥様については、全く明かされていないませんね。
また、京都大学の研究員に井元拓斗さんと言われる方がおり、同姓同名の可能性もありますが、ご長男は京都大学の研究員である可能性もあります。
しかし確かな情報は得られていません。
おかゆうたの現在は激痩せしていた?
おかゆうたさんは8月22日、脳内出血により61歳の若さでお亡くなりになりました。
引用:Instagram
おかゆうたさんは2009年頃から激痩せしていると言われ始めました。
筆者が久々に写真等でお顔を拝見した際は、元々少しぽっちゃりした印象の方だっただけに、激変ぶりにビックリしました!
この頃から体調が悪かったのかなぁ…
おかゆうたさんは腎臓病を患っており、週に3回の人工透析をされていました。
医学的な事になりますので、あくまでも個人の見解ですが、透析患者は脳卒中や脳貧血を引き起こすリスクが高いとも言われていますので、この度の脳内出血は透析が要因だった可能性は大いに考えられるのではないでしょうか?
おかゆうたのWikiプロフィール
引用:Yahoo!ニュース
おかゆうたのWikiプロフィール
●名前:おかゆうた
●本名:井元 保則(いのもと やすのり)
●生年月日:1962年6月11日
●没年月日:2023年8月22日(享年61歳)
●出身地:鹿児島県
●職業:漫才師
●所属:吉本興業
おかゆうたさんは、吉本興業所属の漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」で人気を集めていました。
おかゆうたの経歴
引用:Ameba
おかゆうたの経歴
【1981年/19歳】
岡八郎に弟子入り
【1983年/21歳】
漫才コンビ「岡けん太・ゆう太」を結成
なんば花月上席「フレッシュコーナー」で初舞台
【1986年/23歳】
2丁目探検隊に選出
【1987年/24歳】
ダウンタウンが司会を務める「4時ですよーだ」にレギュラー出演
【1992年/29歳】
「岡けん太・ゆう太」から「おかけんた・ゆうた」に改称
【1999年/37歳】
上方漫才大賞を受賞
【1983年/21歳】
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」結成
引用:吉本興業
おかけんた・ゆうた
●おかけんた:立ち位置は向かって右
●おかゆうた:立ち位置は向かって左
おかゆうたさんは岡八郎さんに弟子入りし、けんたさんも後に岡八郎さんに弟子入りし、1983年に兄弟弟子の漫才コンビ「岡けん太・ゆう太」を結成いたしました。
【1986年/23歳】
2丁目探検隊にメンバー入り
心斎橋2丁目劇場は1999年に閉鎖し、現在は大手ドラッグストアに変わっています。
引用:feickr
心斎橋筋2丁目劇場が開場した際、同世代であるダウンタウン・トミーズ・ハイヒール等と共に、2丁目劇場の看板芸人達で構成されている「2丁目探検隊」にメンバー入りいたしました!
当時「2丁目探検隊」により2丁目劇場が大盛況となりましたが、後に「吉本印天然素材」で第二次2丁目ブームが起こりました。
おかけんた・ゆうたは、
2丁目劇場ブームに一役買っていたんですね。
【1999年/37歳】
上方漫才大賞を受賞
上方漫才大賞は、お笑い界で最も古いと言われている賞です。
「おかけんた・ゆうた」が受賞したのは1966年に行われた第34回上方漫才大賞ですが、歴代の受賞者についてもまとめていきます♪
1966年 | 第1回 | かしまし娘 |
1967年 | 第2回 | 海原お浜・小浜 |
1968年 | 第3回 | 中田ダイマル・ラケット |
1969年 | 第4回 | 夢路いとし・喜味こいし |
1970年 | 第5回 | 横山やすし・西川きよし |
1971年 | 第6回 | 島田洋之介・今喜多代 |
1972年 | 第7回 | 宮川左近ショー |
1973年 | 第8回 | レツゴー三匹 |
1974年 | 第9回 | 三人奴 |
1975年 | 第10回 | Wヤング |
1976年 | 第11回 | チャンバラトリオ |
1977年 | 第12回 | 横山やすし・西川きよし(二度目の受賞) |
1978年 | 第13回 | Wヤング(二度目の受賞) |
1979年 | 第14回 | コメディNo.1 |
1980年 | 第15回 | 横山やすし・西川きよし(三度目の受賞) |
1981年 | 第16回 | ザ・ぼんち |
1982年 | 第17回 | オール阪神・巨人 |
1983年 | 第18回 | オール阪神・巨人(二度目の受賞) |
1984年 | 第19回 | 今いくよ・くるよ |
1985年 | 第20回 | オール阪神・巨人(三度目の優勝) |
1986年 | 第21回 | 太平サブロー・シロー |
1987年 | 第22回 | 宮川大助・花子 |
1988年 | 第23回 | 若井小づえ・みどり |
1989年 | 第24回 | ダウンタウン |
1990年 | 第25回 | 宮川大助・花子(二度目の受賞) |
1991年 | 第26回 | 中田カウス・ボタン |
1992年 | 第27回 | トミーズ |
1993年 | 第28回 | トミーズ(二度目の優勝) |
1994年 | 第29回 | 横山たかし・ひろし |
1995年 | 第30回 | ハイヒール |
1996年 | 第31回 | 大木こだま・ひびき |
1997年 | 第32回 | 酒井くにお・とおる |
1998年 | 第33回 | 里見まさと・亀山房代 |
1999年 | 第34回 | おかけんた・ゆうた |
2000年 | 第35回 | ちゃらんぽらん |
2001年 | 第36回 | 中田カウス・ボタン(二度目の受賞) |
2002年 | 第37回 | ますだおかだ |
2003年 | 第38回 | 横山ホットブラザーズ |
2004年 | 第39回 | フットボールアワー |
2005年 | 第40回 | 中田カウス・ボタン(三度目の受賞) |
2006年 | 第41回 | 大木こだま・ひびき(二度目の受賞) |
2007年 | 第42回 | メッセンジャー |
2008年 | 第43回 | ティーアップ |
2009年 | 第44回 | 矢野・兵動 |
2010年 | 第45回 | 中川家 |
2011年 | 第46回 | ブラックマヨネーズ |
2012年 | 第47回 | 海原やすよ ともこ |
2013年 | 第48回 | 千鳥 |
2014年 | 第49回 | 笑い飯 |
2015年 | 第50回 | テンダラー |
2016年 | 第51回 | オール阪神・巨人(四度目の受賞) |
2017年 | 第52回 | 海原やすよ ともこ(二度目の受賞) |
2018年 | 第53回 | ダイアン |
2019年 | 第54回 | 中川家 |
2020年 | 第55回 | シャンプーハット |
2021年 | 第56回 | かまいたち |
2022年 | 第57回 | ミルクボーイ |
2023年 | 第58回 | プラス・マイナス |
オール阪神・巨人師匠さすがですね。
最多四度も大賞を受賞されています。
近年、漫才師が居なくなったと思うのは筆者だけでしょうか?
「芸人」とか「コメディアン」と言われる人は多くいらっしゃいますが「漫才師」と言われる方は少なくなりました。
やはり近年はコントに近い漫才をされる方が多いですね。
時代の流れだとは思いますが、テレビの普及によりバラエティ番組が増え、漫才のクオリティよりもフリートークの腕が試される時代です。
ダウンタウンもそうですが、個々に司会を務めたりバラエティ番組を持っていらっしゃり、漫才をされる機会はなくなりましたね。
そういった意味で「おかけんた・ゆうた」の様な上方漫才一本でやって来られた漫才師は本当に貴重な方々ですね。
闘病中のおかゆうたさんから「漫才やりたい」とメールが来た際、涙が止まらなかったと、おかけんたさんは語っています。
まとめ
●おかゆうたには息子と娘が居る
●息子は京都大学の研究員の可能性が高い
●娘には子供(女の子)が1人いる
●おかゆうたは人工透析により激痩せした可能性が高い
●本名:井元 保則(享年61歳)
●1983年に漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」を結成
●おかゆうたの体調不良により、2020年以降は活動を休止していた
おかゆうたさんについてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
奥様の事は明らかになっていませんでしたが、今後何か新しい情報が入りましたら追記いたします。
ゆうたさんが体調を崩していた頃から、けんたさんを見かけた人から「ゆうたはどうしてる?」とか「また漫才観たいな」と声をかけられ、胸が熱くなったとけんたさんが話していました。
1日でも長く漫才をしたいと切に願っていたおかゆうたさんは、2023年8月22日に脳出血の為、お亡くなりになりました。
61歳という早すぎる死に言葉もありません。
ご冥福をお祈りいたします…