リーチマイケル選手といえば、2019年ラグビーワールドカップでキャプテンを務め、日本を史上初のベスト8に導きました。
「ONE TEAM」というスローガンは、流行語大賞に選ばれましたよね。
今年の2023年9月には、フランス主催でラグビーワールドカップが開催されます。
リーチマイケル選手も日本代表に選ばれており、出場すると思われます。
そんな彼は高校生の頃に実家が全焼したり、怪我による絶不調で引退を考えたりと壮絶な過去の持ち主でもあります。
そこでこの記事では
・リーチマイケル選手の生い立ちやラグビーの経歴は?
・リーチマイケル選手は2023年現在どうしてる?
・リーチマイケル選手の実家の父親、母親、兄弟などの家族構成は?
という部分について徹底的にまとめました。
壮絶な過去を持ちながら素晴らしい活躍を見せてきた、リーチマイケル選手の素晴らしい精神力についても知ってくださいね。
リーチマイケルwiki風プロフィール

引用:テレビ東京スポーツ
・名前:リーチ マイケル(2013年に日本国籍取得する前はマイケル・リーチ)
・生年月日:1988年10月7日
・年齢:34歳(2023年6月時点)
・出身地:ニュージーランドのクライストチャーチ
・出身高校:15歳の時ラグビー留学生として札幌山の手高校に入学
・出身大学:東海大学体育学部
・身長:189cm
・体重:113kg
・血液型:A型
・利き手:左
・所属:東芝ブレイブルーパス東京
・家族構成:妻(日本人)、娘
・ポジション:フランカー、ナンバーエイト
・日本代表キャップ:78(2023年6月1日時点)
年齢
1988年10月7日生まれ 34歳(2023年6月時点)
リーチマイケルさんの年齢は、34歳です。
ラグビー選手の平均年齢は27~29歳ですので、平均よりは少し上の年齢になります。
2008年からラグビージュニア世界選手権に日本代表として出場しており、ラグビー歴もベテランの選手ですね。
国籍
出身国はニュージーランドですが、2013年に日本国籍を取得しました。
リーチマイケルさんの2013年、リーチマイケルさんが24歳のとき日本国籍を取得しました。
これにより日本人プレーヤーとして活動するようになり、またプレーヤーとしての登録表記を「マイケル・リーチ」から、「リーチ マイケル」に変更しました。
リーチマイケルさんは帰化した理由について、以下のように語っています。
15歳で来日し、もともと日本に長くいようとは思っていたけど、引退したらニュージーランドに帰ろうと思っていました。ですが、日本代表に選んでもらい、東芝ブレイブルーパス東京でプレーするようになり、(日本人女性と)結婚したことで、ニュージーランドに帰っていても日本に戻りたくなった。だから『日本にずっと住もう』と思って帰化を決断したんです」
引用:web Sportiva

日本代表に選ばれたことが始まりで、トントン拍子に日本と関係が深くなっていったんですね。
身長と体重は?
身長:189cm
体重:113kg
トップリーグのラグビー選手の平均身長は約180cm、平均体重は約98kgですから、それを大きく超えるほどの体格です。
ラグビー選手のポジションは、大きく分けるとフォワードとバックスがあります。
リーチマイケルさんのポジションはフランカーやナンバーエイトと呼ばれるフォワードなので、これだけの体格が必要であり、武器になるんですね。
しかしリーチマイケルさんが15歳でラグビー留学生として来日したときは、身長177cm、体重76kgという細身の体つきでした。


引用:子供と暮らして



待ち合わせしていた高校の先生は、最初はラグビー留学生だと気づかなかったそうですよ。
今の姿からはとても想像できないですよね!
リーチマイケル生い立ちや経歴
リーチマイケルさんはいつ日本に来て、どのような経歴を持っているのでしょうか。
生い立ちから順にまとめていきます。
・ラグビーボールに触れたのは5歳
・15歳で「札幌山の手高校」に交換留学
・高校時代ニュージーランドの実家が火事で全焼
・東海大学へ進学しラグビー部へ
・大学卒業後、東芝ブレイブルーパスに加入
・2015年強豪チーム、チーフスに移籍
・2019年ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンへ
・2020年3月カフェを閉店
・2023年現在は?
ラグビーボールに触れたのは5歳の時
リーチマイケルさんがラグビーを始めたのは、5歳の時です。
母親がラグビーを好きで、リーチマイケルさんにすすめたことがきっかけでした。
また父親はニュージーランドの元ラグビー選手でもありました。
強豪国ニュージーランドの選手ですから、父親もかなりの実力があったと思われます。



ラグビー好きな両親を見て育ったリーチマイケルさん。
自然とラグビーを意識していたのかもしれないですね。
また初めてラグビーボールを握ったときには、雷に打たれたかのような衝撃があったそう。



ラグビーに関してビビビとくる直感があったのでしょうか。
母親のすすめもあり、5歳で地元のクラブチームに入団したリーチマイケルさん。
入団した時すでに「大きくなったらオールブラックス(ニュージーランド代表)になる」と心に決めていました。
5歳ですでにラグビーにのめりこみ、ラグビー選手の道に進むと決意していたんですね!
15歳で交換留学で北海道「札幌山の手高校」に留学
リーチマイケルさんは15歳のとき、札幌山の手高校に交換留学で来日します。


引用:ゴーイング
ニュージーランドでは、高校はセントビーズカレッジへ進学していました。


強豪国であるニュージーランドには、日本から優秀な留学生がよく来ていました。



リーチマイケル選手の実家で、日本人留学生が生活することもあったそうですよ。
日本人留学生は真面目で謙虚に練習に取り組み、チーム内でも一目置かれることが多かったとのこと。
そんな日本人留学生の姿を見て、リーチマイケルさんは日本ラグビーに関心を持つようになりました。
そして15歳で札幌山の手高校に交換留学生となります。


引用:wikipedia
留学当時のリーチマイケルさんは体が細く、練習についていくのがやっとでした。
細身な体ゆえ試合でふっ飛ばされることも多く、「あの外国人、たいしたことないな」と陰口を言われることもありました。



「チームのみんなに申し訳ない」と悩んでいたそうです。
そんな中、1年生の時に全国大会に出場し、強豪校の正智深谷高校(埼玉県代表)と対戦しました。
結果は5対89という圧倒的な点差で完敗し、自分の力不足を痛感します。
この悔しさをばねに肉体改造やトレーニングをに力を入れるようになります。
また肉体改造のために、ラグビー部の監督は練習後にびっくりドンキーに連れて行き、ハンバーグを食べさせていたそう。



先輩に追い付こうと、ハンバーグ700gと大盛りご飯2セットを完食していたそうですよ!
これらの努力の甲斐があって、高校3年生時には体重が100kgまで増加しました。
成長期とはいえ、3年間で30kg近くも増やすのは並大抵なことではないですよね。
リーチマイケルさんのとてつもない努力が伺えます。
高校時代ニュージーランドの実家が火事で全焼
リーチマイケルさんが札幌山の手高校に在学中に、ニュージーランドの実家が火事になり全焼しました。
経済的に貧しく決して立派とは言えない家でしたが、リーチマイケルさんが生まれてから15年過ごした実家には、たくさんの思い出がありました。
その大切な思い出すべてが、突然無くなってしまったのです。
このときラグビー部の監督であった佐藤幹生監督は、リーチマイケル選手に内緒で募金を呼びかけ4日間で約70万円を集めました。


引用:毎日新聞
その募金は内緒でリーチマイケルさんの母親に送られました。
リーチマイケルさんは後日母親からその事実を聞かされ、そこで初めて監督の行動を知ったのです。
この出来事がきっかけで、
と誓ったそうですよ。
佐藤監督から「ニュージーランドに帰って家族に会ってこい」と帰国をすすめられましたが、リーチマイケルさんは家族全員の無事が確認できただけで十分、と言い帰国しませんでした。
高校生にして、とても冷静で強い精神力をもっていることに驚きですよね。



辛かったと思いますが、監督やラグビー部のメンバーに精神的に支えられた部分もあったのかもしれませんね。
東海大学へ進学しラグビー部へ


引用:東海大学
高校卒業後リーチマイケルさんは東海大学体育学部に進学し、ラグビー部に所属しました。
大学に進学した理由は、「体育の教員免許を取って、札幌山の手高校に戻るため」と語っています。
他にも日体大や筑波大、国士舘大なども見学しましたが、東海大の自然環境やグラウンドの質の良さに惹かれ、東海大に進学を決めました。
そんな東海大学ラグビー部の練習は、とても過酷だったそうです。
「東海大にはいい先生もたくさんいて、いい思い出ばかりですが、ラグビー部(の練習は)は地獄でした(苦笑)。朝から近くの山やグラウンドを走ったり、1000回も腕立てをしたり、ご飯をたくさん食べたり……。大変でした。ただ、それが僕の財産になってます。僕の土台を作ってくれたのは東海大です」
引用:4years



地獄という言葉に重みを感じます…
しかしそんな過酷な練習の成果もあり、2008年(大学2年生時)にU20日本代表のキャプテンとなり、アメリカ戦で初キャップを獲得します。
キャップとは?
国の代表選手として国際試合(テストマッチ)に出場した回数のこと。
数字が大きいほど経験値が大きい選手と言える。
2009年(大学3年時)には第46回全国大学選手権で準優勝、2010年(大学4年時)の全国大学選手権でベスト4になるなど、数々の成績を残しました。
東芝ブレイブルーパスに加入
東海大学卒業後は、ラグビー部のチームメイトである三上正貴と共に東芝ブレイブルーパスに加入しました。


三上正貴さん(リーチマイケルさんの右横)
引用:instagram
2011年には、母国ニュージーランド開催のRWC(ラグビーワールドカップ)の日本代表に選出され、予選プール全4試合にフランカーとして出場しました。
2014年4月には日本代表キャプテンに就任しました。
2014年から2021年まで日本代表キャプテンを務め、2015年のワールドカップでは、キャプテンとして強豪南アフリカに勝利し、3勝に貢献しました。
ニュージランドの強豪チーム、チーフスに移籍
2013年、スーパーラグビーの強豪チームチーフスに期限付き移籍すると発表しました。


引用:チーフス
しかし同年2月に左肘を骨折、6月にはフィジー代表戦で左足首を骨折し、チーフスとの契約は解除となりました。



立て続けに大けがをして大変だったんですね。
チーフスヘッドコーチのデイブ レニー氏は、
「リーチは驚くべき対戦意欲を備え、スクラムの後方からのボールの出し方が優れていて、ラインアウトでも一流だ」
引用:MGL
このようにリーチマイケル選手を高く評価しました。
2015年から3年間、チーフスで計34試合に出場し国際経験を積みましたが、2018年にチーフスの退団を発表しました。
2019年のワールドカップ日本大会を見据えてサンウルブズでのプレーを決断したからでした。


引用:サンウルブズ
サンウルブスでも、中核の1人として8試合に出場し活躍しました。
2019年ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンへ


引用:テレビ東京スポーツ
2019年10月、ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンとしてチームを史上初のベスト8に導きました。
2019年のワールドカップは、リーチマイケル選手にとって3度目のワールドカップでした。
ベスト8という好記録を残したワールドカップを振り返り、リーチマイケル選手は「学んで変えて」を繰り返してきたと語っています。
「2011年から学んで変えて、学んで変えてをずっとやってきました。(3勝を挙げたが予選プールで敗退した)2015年の大会では勝ち方を学んだ。2019年の大会では、どうやって勝つか(について学んだこと)を生かして戦いました」
引用:4years
またその年の流行語大賞にもなった「ONE TEAM」というスローガンについても語っています。
当時の日本代表は、外国出身の選手が半数ほどいました。
チームが日本代表としてまとまり、プライドを持って戦うために、日本の歴史や文化についてプレゼンしたそうです。
「僕の提案でやりました。外国人の選手に鎖国や元寇(げんこう)といった日本の歴史や文化を教えました。日本の歴史を知ると、日本を誇りに思って、負けたくないと意識するようになります。ハードワークしたり、役割や規律を守ったりするところが日本のよさです。外国人選手も日本のことを理解してくれました」
引用:4years



日本のいい所を理解し、こんな風に伝えてくれていたとは嬉しいですね。
このようなリーチマイケル選手の努力があって、史上初のベスト8という快挙を成し遂げたんですね!
2020年3月カフェを閉店
2015年7月に、コーヒー好きだったリーチマイケル選手がCAFE +64をオープンさせています。


引用:トリップアドバイザー
しかし新型コロナウイルスの影響を受け、2020年3月に惜しまれながら閉店しました。



ラグビーをしながら、リーチマイケルさん自信がコーヒー豆や経営の勉強をしてオープンさせたんですよ。
本格的なニュージーランドスタイルのカフェとして、コーヒーやハンバーガー、ワッフルチキンなどが大人気のお店でした。
リーチマイケルさんの奥様も一緒にカフェを手伝っていたそうですよ。
開店当時は、高校時代を過ごした思い出の場所である札幌に2号店を出す計画もありましたが、夢はかなわず閉店となってしまいました。
しかし2022年12月には、三菱地所株式会社とのコラボで丸の内に期間限定でカフェを出店しています。


引用:IGNITE
2021年にも同様の期間限定コラボカフェが出店されていたので、今後もしかしたらカフェ出店の可能性があるかもしれませんね。


2023年現在は?
2023年9月に開幕するフランス主催ワールドカップの日本代表メンバーに、リーチマイケル選手が選ばれました。
すでに6月7日より千葉・浦安で合宿を始めています。


日本代表及び日本代表候補の合宿の様子
最終的にワールドカップに臨む日本代表のメンバーは、合宿やテストマッチのあと33人に絞られ8月に発表される見通しです。
今大会でも日本代表に選ばれれば、なんと自身4度目のワールドカップとなります。
実はリーチマイケル選手は、ここ数年ずっと左右の股関節痛に悩まされてきました。
2020年のトップリーグではかなり体調が悪く、実はラグビーを辞めようと思っていたとのこと。



2023年ワールドカップの日本代表を終えた後引退しようと思っていたそうです。
しかし北九州の股関節治療専門の先生に2年ほどかけて治してもらい、現在はパフォーマンスも上がり体調は良くなっています。
2023年3月に今大会についてのインタビューで
「最後だとは思ってない。年がきたから最後って言わないし、ベストを尽くしたい。このチームはポテンシャルが高い。前回大会よりレベルアップできる自信がある」
引用:スポニチアネックス
と、自信の成長と現役継続の意思を語っています。
順当にいけば今大会でも日本代表メンバーに選ばれ、リーチマイケル選手の活躍が見れるはずです。
レベルアップしたリーチマイケル選手の活躍、楽しみですね!
リーチマイケルの実家の家族や家族構成
リーチマイケル選手の家族は父、母、兄、妹の4人家族でしたが、兄を2009年に交通事故で亡くしています。
・ニュージーランド出身の父
・フィジー出身の母
・4歳年上の兄(2009年に交通事故で死亡)
・7歳年下の妹
父親


引用:instagram
・名前:コリン・リーチ
・出身:ニュージーランド
・居住:2017年よりフィジーに移住
・年齢:66歳(2023年時点)
・性格:無口で冷静
・職業:若い頃はラグビー選手
現在大工
リーチマイケル選手の忍耐強く冷静な性格は、父親のコリンさんとそっくりだそう。



お顔も父親によく似ている気がします。
15歳で日本に交換留学する時、母親は日本行くことを反対していましたが「マイケルがやりたいなら」と温かく送り出してくれたそうです。
2016年2月に、フィジーをサイクロン「ウィンストン」が襲いました。
これにより妻イバさんの出身であるタブア村も被災し、親戚の家などが倒壊しました。
コリンさんは被災を受けて、翌2017年にイバさんが育った集落近くに移り住み、大工技術を現地の人に指導しながら家を直す手伝いをしました。
これらの活動についてコリンさんは
「自分は楽しんでいるだけ。犠牲だなんて思っていない。人生は永遠に続かない。(知識や技術を)ダウンロードしてあげることで、次の世代につながる」
引用:スポニチアネックス
と語っています。



一人で移り住んでまで大工技術を指導したり家を直すなんて、なかなかできることではないですよね。
現在もそのままフィジーで一人暮らしをつづけ、家畜のヤギを食べながら自給自足の生活を送っています。
母親


引用:デイリースポーツ
・名前:イバ・リーチ
・出身:フィジー
・居住:自宅のあるニュージーランドに残って暮らしている
・年齢:63歳(2023年時点)
・性格:明るくて豪快
母親のイバさんは、父親とは対照的な明るく豪快な性格です。
幼少期に物静かなリーチマイケル選手が周囲になじめるようにと、ラグビーを勧めたのは母親のイバさんでした。



イバさんの声掛けが、ラグビー選手としての出発点となったのですね。
イバさんはとても厳格な家庭で育ちました。
「人を恨んではいけない」「相手に敬意を払いなさい」と育てられ、同じことを息子のリーチマイケル選手にも伝えていました。
このイバさんの教育が、チームや仲間を大切に思うリーチマイケル選手の芯となっているのかもしれません。
2019年には、自身の子育てについて「ちょっと厳しかった」と話しています。
しかし同時に「世界で一番幸せなお母さんになれた」と目を潤ませながら語っています。



息子のために厳しい教育をしながらも、とても愛情深く育て上げたことが伝わりますね。
兄弟と妹について
4歳年上の兄
・名前:ボビー・リーチ
・年齢:リーチマイケル選手の4歳年上
・職業:元ラグビー選手
・2009年に交通事故で亡くなった
リーチマイケル選手には、4歳年上の兄がいました。
高校生の時、ラグビーニュージーランド南島代表に選出されるほどの実力を持った選手でした。
けんかをするといつもボコボコにされましたが、「兄のおかげでタフになった」と感謝している最愛の兄です。



リーチマイケル選手は兄の死を受け、左胸に兄の名前と命日、十字架のタトゥーを入れています。
7歳年下の妹


引用:instagram
・名前:アネ・リーチ
・生年月日:1995年4月11日生まれ
・年齢:27歳(2023年6月現在)
・出身大学:大正大学
・職業:ラグビー選手
・所属チーム:アルカスクイーン熊谷
アネ・リーチさんは日本の大正大学に2013年進学し、2017年に卒業しています。
大学卒業後はアルカスクイーン熊谷に所属していました。
大会の出場歴は
などがあります。
2017年には「女子ラグビーワールドカップ2017アイルランド大会」に向けて、三地区対抗戦で関東代表勝利に貢献したことが記事に載っています。
しかし残念ながらこのとき、日本代表メンバーとはなりませんでした。
アネ・リーチさんは兄リーチマイケル選手について、
と話しています。
イジメられるたびに母親に泣きついていたとのこと。



きっと妹のかわいさゆえの行動ですよね!
まとめ
・5歳のときラグビー好きな母親にすすめられ、ラグビーを始めた
・15歳のとき札幌山の手高校に交換留学
・高校時代ニュージーランドの実家が火事で全焼、募金で援助を受け日本への恩返しを誓う
・2013年、24歳のとき日本国籍を取得
・東海大学へ進学しラグビー部へ 入部
・大学卒業後は東芝ブレイブルーパスに加入
・2015年ニュージランドの強豪チーム、チーフスに移籍
・2019年ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンとなり、ベスト8入りを果たす
・2020年3月カフェを閉店
・元ラグビー選手の父親、明るくて豪快な母親、7歳年下の妹がいる
リーチマイケル選手の生い立ちや経歴、家族構成について見ていきました。
ベテランで頼れるリーチマイケル選手ですが、現在の実力に至るまではとてつもない努力があったのですね。
持ち前の強靭な精神力で、様々な困難を乗り越えてきたことがわかりました。
今年のワールドカップでも、更なる活躍を期待しています。


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