2023年9月8日から、4年に一度のラグビー世界一を決める戦い「ラグビーワールドカップ2023」がフランスで開幕します。
前回の2019年は、自国開催でベスト8に進出するという快挙を成し遂げ、日本にラグビーブームを巻き起こした日本代表チーム。
9月から始まるラグビーワールドカップにも期待が高まりますよね。
そこで今回は、屈強ぞろいのメンバーの中でも注目の選手、松田力也さんについて、
・松田力也さんのWikiプロフィールが知りたい
・松田力也さんの家族構成について!
・松田力也さんがラグビーをはじめたきっかけは?
・松田力也さんの出身高校などの学歴について
・松田力也さんの経歴を順に紹介!
これらのことを中心にまとめてみました。
松田力也さんのことが気になっていた方も、ラグビーが好きだという方もぜひ、最後までお付き合いください。
松田力也wikiプロフィール

名前:松田力也(まつだ りきや)
ニックネーム:りきや、りっきょん
国籍:日本
出身地:京都府京都市
生年月日:1994年5月3日
年齢:29歳(2023年8月時点)
身長:181cm
体重:92kg
血液型:O型
所属:埼玉パナソニックワイルドナイツ
ポジション:スタンドオフ(SO)、インサイドセンター(CTB)、フルバック(FB)
ツイッター:@rikkyon1010
インスタグラム:@rikkyon10
松田力也さんのポジションは、スタンドオフ(SO)、インサイドセンター(CTB)、フルバック(FB)ですが、主にスタンドオフ(SO)を任されています。

ボールに触れる機会の多いスタンドオフは、チームの中でも攻撃の中心となるポジションです。
松田力也さんはスタンドオフに必要な判断力とキック力、パスの正確さがあります。
松田力也さんはチームメートからも絶大な信頼を寄せられており、視野の広さ、味方選手を生かすプレーや試合中のコミュニケーションなど、司令塔としての役割を存分に果たしているところも松田力也さんの凄さだと思います。

松田力也さんは今回のラグビーワールドカップで、スタンドオフの筆頭候補と言われているよ!



スタンドオフは花柄ポジションなだけあって、争奪戦も激しそうだよね。
松田力也の実家の家族構成や兄弟は?結婚した嫁についても!
松田力也さんの家族構成は、4人家族です。
・父親(松田大輔さん)
・母親
・長男(松田力也さん)
・妹
となります。
松田力也の結婚した奥さんや子供について
現在は、松田力也さんは既婚者で奥様がいます。
正式には発表されていませんが、2018年のインタビューで結婚していることを明かしていたので、それ以前に結婚していたことがわかりました。
松田力也さんは2017年に大学を卒業しているので、幼馴染や学生時代の同級生と結婚に至ったのではないかと思われます。


この画像は、2016年頃に松田力也さんが知人の家に奥様と一緒に遊びに行った時の写真です。
抱いている子どもは松田力也さんの知人の子どもで、松田力也さんの子どもではありませんが、23~24歳頃に結婚し、現在は結婚5年目頃だと思われるので、もしかすると子どももいるかもしれないですね。
松田力也の父親も元ラグビー選手
松田力也さんの父親は、
元ラグビー選手、松田大輔さん
松田大輔さんは、京都府宇治市を本拠地とする「ユニチカフェニックス」というチームに所属していました。
ポジションはフォワード。
フォワードは身体を張ってボールを守り、前へ進めていく役割があります。
激しい身体のぶつかり合いや力を使うので、体格のよく屈強な選手が多いポジションです。
松田力也さんは身長181cmでラグビー選手としては平均並み、体重も92kgで平均より若干少なめなので、決して大柄な選手ではないので、父親である松田大輔さんもそれほど体格が良いという訳ではなかったかもしれません。
しかし、フォワードを任されていたことから、身体の使い方やスピードなど卓越した技術を備えていたのではないかと思われます。



ラグビーは身長、体重に関わらず、いろいろな体格の人ができるスポーツなんだよ!



足が速い人や遅い人など、どんな人にも「合うポジション」があると言われているよ。
ラグビーを始めたきっかけは父親


松田力也さんがラグビーを始めたきっかけは、元ラグビー選手である父親の影響でした。
幼いころの松田力也さんの夢は、プロの野球選手。
小学校に入る前から野球部に入部しようと思っていましたが、どのチームも小学校3年生からしか入部を受け付けておらず、そこで父親に促されてラグビーチームに入ることになりました。
父親がラガーマンだったこともあり、松田力也さんは本来の才能を存分に発揮し、めきめきと頭角を現してきました。
息子の才能に気づいた父親は、ラグビー選手にとっての夢の舞台である花園へ毎年連れて行き、一緒にラグビーを観戦していたそうです。
父親の松田大輔さんは花園に出場することは叶わなかったことを話すと、
僕が、お父さんを花園に連れて行ってあげる
と約束しました。
ラグビー技術を発揮し始めた様子を見ていた父親は、まだ小学4年生だった松田力也さんを、ラグビーの名門である京都市立伏見工業高校の夏合宿に、高校生に混ざって参加させることにしました。
毎年、父親と見ていた花園は、松田力也さんが思っていた以上に苦しい練習を続けた結果、叶うものなのだと肌で感じたそうです。



高校生の練習に小学生が混ざるなんて、もとラガーマンである父親にしか思いつかないよね!



父親は、夢を叶えることの大変さを教えたかったのかも。
松田力也の父親の死因はくも膜下出血
松田力也さんの成長を見守っていた父親ですが、突如として不幸に見舞われることになります。
松田力也さんが小学5年生の時、父親の松田大輔さんが39歳という若さで、くも膜下出血で亡くなるという悲しい出来事がありました。
所属していたラグビースクールの試合中に肩をけがした松田力也さんは、父親に病院へ連れて行ってもらい、家に帰った父親は「仮眠する」と言い眠り、そのまま帰らぬ人となったのです。
あまりにも突然の出来事で松田力也さんは
自分がけがをしなければ、違う未来になっていたのではないか
と考え、自分を責め、3日間泣き続けていたそうです。
もちろん、父親が亡くなったのは松田力也さんの責任ではないことはみんなが分かっていましたが、「もしあの時、自分がけがをしていなければ」という思いが頭から離れなかったのではないでしょうか。
それでもラグビーを続けたことは、父親への尊敬の念があったのだと思います。
松田力也さんはインタビューで、
ラグビーをしている時は何も考えずにいられたので、切り替えができていたのだと思います。父親との約束である、高校日本代表に入りたいという思いがありました。父親を超えるじゃないですけど、ひとつの約束であり、目標にしているところでもありました。
と話していました。
毎日悲しみに暮れていた松田力也さんですが、やはり父親が教えてくれたラグビーを続けることで父親とのつながりを感じていたのかもしれません。
ラグビー選手を引退し、居酒屋を経営していた父親は、忙しいながらも息子である松田力也さんの練習や試合には必ず駆け付け、応援をしてくれていました。
父親との夢であった花園出場という約束を果たした時、きっと近くで見ていてくれていたのだと思います。



ラグビーを教えてくれた父親には感謝の気持ちでいっぱいだね。
松田力也の学歴は?
松田力也さんの最終学歴は、
大卒
となります。
ではここからはより詳しく学歴をご紹介いたしますのでご覧ください。
【2007年/12歳】
京都市立陶化中学校(現・凌風学園)入学
【2010年/15歳】
伏見工業高校入学
【2013年/18歳】
帝京大学入学
【2007年/12歳】
出身中学校は京都市立陶化中学校(現・凌風学園)
松田力也さんの出身中学校は、
京都市立陶化中学校(現・凌風学園)
となります。
先ほども書きましたが、松田力也さんがラグビーを始めたのは小学1年生、6歳の頃でした。
小学生の頃から、父親の進める地元のラグビーチームに入っていた松田力也さんは、小学校卒業後、地元でラグビーが強いことで有名な京都市立陶化中学校(現・凌風学園)に入学しました。
現在は小中一貫校の凌風学園という校名に変わっていますが、以前の京都市立陶化中学校の時にはミスター・ラグビーと言われた平尾誠二さんも卒業してるラグビー名門校です。
京都市立陶化中学校から、のちに入学する伏見工業高校へと進むことが、ラグビー選手としての王道のようで、平尾誠二さんの他にも内田啓介選手も同じ学歴をたどっています。
松田力也さんは中学校でも競技を続け、めきめきと実力をつけていきました。



ラグビー場がある公立の中学校も珍しいよね。



松田力也さんは平尾誠二さんと同じ中学、高校を卒業していることから、「平尾2世」との声もあったよ!
【2010年/15歳】
出身高校は伏見工業高校
松田力也さんの出身高校は、
伏見工業高校
となります。
伏見工業高校は高校ラグビーの名門校として全国的に知られている学校です。
また、ラグビー部総監督であった山口良治さんが、1984年に放送されたドラマ「スクール☆ウォーズ」の主人公のモデルになったことでも知られています。
松田力也さんは、子どもの頃に父親と2つの約束をしました。
・父親を花園に連れて行ってあげる
・高校日本代表に入れば、ラグビー選手として松田力也さんの勝ちにする
松田力也さんは高校でも競技を続け、ついに父親との約束を果たすことができました。
全国高等学校ラグビーフットボール大会、通称「花園」に2度出場し、3年生の時に主将として出場した時には8強入りするという快挙を成し遂げました。
そしてもう一つの約束も果たすことができました。
高校2年生の時に、高校日本代表に選出。
オール京都に選ばれたことのある父親の松田大輔さんから言われた、「高校ジャパンに行ったらおまえの勝ちでいい」という言葉は今でも覚えているそうです。



息子である松田力也さんの勝ちになるということは、父親を超えた瞬間だったのかもしれないね。
しかし父親を超えたとしても、ラグビーを始めるきっかけを与えてくれた父親は、いつまでたっても尊敬する存在であり、心の支えになっているのでしょう。
松田力也さんは高校日本代表に選ばれたことで、さらなる上、日本代表入りへの想いも強くなったと話していました。
【2013年/1歳】
出身大学は帝京大学


松田力也さんの出身大学は、
帝京大学教育学部教育文化学科
となります。
中学、高校と続き、大学もラグビーの名門校である帝京大学へと進みます。
高校時代はフルバック(FB)としてプレーしていましたが、大学に入ってからはスタンドオフやウイング(WTB)など様々なポジションをこなすようになっていました。
1年生の時からレギュラー入りを果たし活躍していた松田力也さんは、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で4回の優勝を経験。
帝京大学の8連勝に大きく貢献しました。
高校時代に引き続き、大学に入ってからも日本代表に選出されるようになり、大学4年生の時にカナダ戦で初キャップを果たしました。
平尾2世と呼ばれた松田力也さんは、平尾誠二さんの卒業した同志社大学からも声がかかったのですが、引退後は体育の教師を目指しており、帝京大学の教育学部へと進むことにしました。



将来は、松田力也さんが卒業した伏見工業高校で指導したいって話していたよ!



母校への感謝の気持ちが伝わってくるね!
松田力也の経歴は?
【2017年/22歳】
パナソニックワイルドナイツに入団
【2019年/25歳】
ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出
【2022年/28歳】
ジャパンラグビーリーグワン2022-23シーズン開幕戦に出場
【2023年/29歳】
ラグビーワールドカップ2023の日本代表に選出
【2017年~2019年】
パナソニックワイルドナイツに入団~日本代表に選出


大学卒業後、松田力也さんはさらにラグビー選手として飛躍を目指すべくパナソニックワイルドナイツに入団しました。
パナソニックワイルドナイツに入団を決めた理由は、
ベリック・バーンズに学びたかったから
ベリック・バーンズ選手はオーストラリア出身のラグビー選手で、パナソニックワイルドナイツに所属しています。
松田力也さんはベリック・バーンズ選手にアドバイスをもらうことも多く、一緒にプレーしていると楽しいことや、プレーのしやすさを挙げています。



憧れの選手と共にプレーすることで、ラグビーの技術だけでなく、向上心や意欲といった精神面も高めることができたのかもしれないね!
さらに同年、「サンウルブズ」に追加招集されスーパーラグビーデビューを飾ります。
その後に行われた、ラグビーワールドカップ2019のメンバーを見ると、31人中29人がスーパーラグビー経験者だったことから、かなりレベルの高いメンバーと戦っていたことがよくわかります。
ジャパンラグビートップリーグでは、第1節のクボタスピアーズ戦で先発出場し、公式戦初出場を果たしています。


2019年のラグビーワールドカップでは日本代表に選出されるも、SO(スタンドオフ)田村優選手の控えとなり悔しさが残る大会となりました。
松田力也さんは、2019年のワールドカップを振り返って、
出場したことはすごく幸せだったけど、先発で出ることができませんでした。ベスト8で終わった次の瞬間から「次の大会では10番を背負ってW杯に戻ってきたい」という思いを常に持っていました。
自国開催でベスト8という快挙に日本中が沸きあがっているなか、松田力也さんは自分が何もできなかったことに悔しさを覚えていました。
【2022年~2023年】
リーグワン2022-23シーズン開幕戦に出場~再び日本代表に選出
順調に社会人プレーヤーとしてスタートした松田力也さんですが、初めての挫折を味わいます。
リーグワン最終節の試合開始直後、ボールをキャッチしてステップを決めた瞬間、松田力也さんは芝の上に倒れてしまいました。
検査の結果は、
前十字靭帯断裂の大ケガ
怪我後は、保存療法で治療を進めるのか、手術をするかで悩んだ結果、1年4カ月後に控えているフランスラグビーワールドカップに間に合わせるためにも手術することを決意しました。
手術後のリハビリは過酷でひたすら耐える日々でしたが、自分を改めて見つめなおすいい機会だったとも話していました。



日本代表の試合や他国のテストマッチをチェックし、「自分だったらどうするか」ということを考えながら見ていたんだって。



試合勘を失わないことも、復帰後に必要なことだよね。
復帰には1年ほどかかると言われていましたが、松田力也さんは驚異の回復力を見せ、約7カ月で実践復帰。
ジャパンラグビーリーグワン2022-23シーズンでは開幕戦に出場、さらに1年半ぶりに日本代表にも復帰することができました。
怪我で長期離脱を余儀なくされた松田力也さんにとって、再びラグビーができる幸せを嚙みしめる思いだったでしょう。
2019年のラグビーワールドカップでは思ったように試合に出られず、歯がゆい思いをした松田力也さん。
今回のフランスラグビーワールドカップでは、過酷な怪我を乗り越えた松田力也さんがどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。
まとめ
ここまで松田力也さんのラグビー選手として、そしてプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・京都府京都市出身の29歳
・4人家族で育ち、現在は既婚者
・ラグビーを始めたきっかけは父親の影響
・高校生の頃から日本代表に選出されている
・中学、高校、大学のどれもラグビー名門校を卒業
・怪我のため7カ月の長期離脱を経験
となります。
小学5年生で突然、父親を失い絶望を味わった松田力也さん。
試合前にはいつも「今から行ってくるから。見といてな。」と心で唱えるそうです。
時に厳しく、でも温かい心で見守ってくれていた父親は、きっと今も遠くから見守ってくれていることと思います。
2023年9月に開幕するフランスラグビーワールドカップ。
さまざまな壁を乗り越えてきた松田力也さんの活躍を、これからも応援しています!
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