バスケットボール日本代表で、現在はBリーグの千葉ジェッツふなばしに所属している富樫勇樹さん。
富樫勇樹さんと言えば、2019年に日本人初の“1億円プレーヤー”として話題になりましたね。
また、日本代表としては2021年の東京オリンピックに出場し、全3試合に出場、合計19点を挙げました。
FIBAバスケットボールワールドカップ2023のメンバーにも選出され、さらに日本代表でキャプテンも務める富樫勇樹さんですが、今回はこれらのことを中心についてまとめてみました。
・富樫勇樹さんのWikiプロフィールが知りたい
・富樫勇樹さんのプレースタイルや凄さは?
・富樫勇樹さんの出身高校などの学歴について
・富樫勇樹さんの経歴を順に紹介!
・富樫勇樹さんの家族構成は?奥さんについても!
もうすぐはじまるバスケワールドカップに合わせて、富樫勇樹さんについて検証してみたいと思います!
富樫勇樹(とがし ゆうき)wiki風プロフィール

名前:富樫勇樹(とがし ゆうき)
ニックネーム:とがぴー
国籍:日本
出身地:新潟県新発田市
生年月日:1993年7月30日
年齢:29歳(2023年7月時点)
ポジション:ポイントガード
身長:167cm
体重:65kg
血液型:AB型
利き手:右手
所属:千葉ジェッツふなばし
結婚:既婚
富樫勇樹さんはバスケットボールを始めたのが小学生1年生の頃なので、バスケ人生23年目になりますね。
きっかけはバスケ部の監督をしていた父親の影響ですが、今では日本代表になり、1億プレーヤーとまで言われるようになった富樫勇樹さん。
身長はバスケットボール選手にしては低めですが、それを生かしたポジションで今の日本代表を背負う選手となりました。

今では若手をひっぱっていくリーダー的存在になったのね!
年齢は?
富樫勇樹さんの年齢は、現在 29歳(2023年7月現在)です。
同じ1993年生まれで、バスケワールドカップ2023のメンバーに原修太さんがいます。
原修太さんとは所属チーム(千葉ジェッツふなばし)も同じなので、普段からチームでの連携、信頼関係を築けている仲と言えるでしょう。
バスケットボール選手の年齢で見ると、
国内のプロバスケットボールリーグに所属するバスケットボール選手の平均年齢は26~30歳です。
ジョブ図鑑
選手のスキルや実力によっては20代でも契約を更新しないこともあります。
とあるので、富樫勇樹さんはバスケットボール選手としては年齢は高いほう、もう引退に近い年齢と言っても過言ではありません。
しかし、スキルや実力によって契約更新が変わるということなので、29歳という年齢で1億円で契約締結されたことを考えると、富樫勇樹さんは年齢が上がるとともに実力、凄さがパワーアップしているのだと思われます。



もちろん本人の努力もあっての結果だよね!
身長は?


富樫勇樹さんの身長は、167cmです。
Bリーグの平均身長は191cmなので、バスケットボール選手としては平均より24cmほど下回っていることになりますが、富樫勇樹さんのポジションであるポイントカードの175cm以下がベストと言われています。
チームの司令塔となり、ボール運びを担うポイントカードは、背が高い選手より俊敏な動きでドリブルができる選手のほうが重宝されそうですね。
また、富樫勇樹さんは自身の身長についてこのように語っています。
「(身長差を)大きく気にしなくなったのは高校時代。フォーカスしても何も変わらないので、自分にできること、良さを理解してそれを試合で最大限出すしかない」
TheAnswer
マイナスをプラスに変える決断力と行動力が、今の富樫勇樹さんのスタイルを作っているのだと感じました。
体重は?
富樫勇樹さんの体重は、65kgです。
男子バスケットボール選手の平均体重は、90.4kgと言われているので、富樫勇樹さんは平均より25.4kgも下回っていますね。
日本人男性の平均体重も78.1kgなので、それよりも下回っているので、富樫勇樹さんはどちらかと言えば小柄な体格と言えます。
ただ、身長のところにも書いていますが、ポイントカードというポジションを考えると、背の高い選手ばかりの中で動き回るには、小柄な選手にしか見えない視野があるのだと思います。
富樫勇樹のプレースタイルや凄さ・特徴は?
富樫勇樹さんのプレースタイルや凄さをまとめると、
●シュート力が高い!
●スピードのあるドリブルとパス!
●勝負どころで決められる精神力!
富樫勇樹さんのポジションはポイントカードです。
ポイントカードとは、、
チームの司令塔となり、選手を動かし得点につなげるパスの配給を行う。
ポイントガードが相手チームの狙いを読み取り、味方への的確なパスで得点につなげる重要な役割を担っています。
本来ならボール運びが一番の役割ですが、富樫勇樹さんの場合はシュート力の高さも認められている選手です。
1試合の平均得点が14点、3ポイントシュート成功率30.2%という記録があります。
Bリーグの中で3ポイントシュート成功率が一番高い選手は44.6%なので、ポイントガードというポジションで30.2%という成功率はかなり高いほうなのではないでしょうか。
さらに富樫勇樹さんは、勝負どころでポイントを決められる精神力も持ち合わせています。
2019年、天皇杯3連覇をかけた決勝戦で、富樫勇樹さんは残り3秒で逆転の3ポイントシュートを決め、優勝に貢献するということがありました。
残り3秒になると誰もが諦めモードに入ってしまいますが、富樫勇樹さんは最後の最後まで諦めない、窮地をチャンスに変えるメンタルを持ち、さらにポイントを間違いなく決める、精神力とシュート力には驚かされます。


もちろん、ポイントガードというポジションの最大の役割であるボール運びも富樫勇樹さんの持ち味です。
バスケットボールでは、ハンドリングと言われる、まるでボールに手が張り付いているような技術が必要不可欠になります。
富樫勇樹さんのハンドリング力は、気づくと相手選手を置き去りにしてしまうほどのスピードとハンドリング力、精巧なパスを送る技術があります。
チームの司令塔を担う富樫勇樹さんは、強いメンタルを持っており、勝負どころで決める正確なシュート力や、チームを勝たせるための試合運びができるところが凄いと感じました。



どんな場面でも瞬時に判断し、的確なシュート、パスができるところも魅力よね!
富樫勇樹(バスケ)の生い立ちや学歴について
富樫勇樹さんの最終学歴は、
高卒
となります。
ではここからはより詳しく学歴をご紹介いたしますのでご覧ください。
【2000年/6歳】
新発田市立東豊小学校入学
【2006年/12歳】
新発田市立本丸中学校入学
【2009年/15歳】
モントロス・クリスチャン高校
幼少期〜小学校時代


富樫勇樹さんは、小学1年生の時にミニバスケットボールを始めました。
両親、兄弟ともにバスケットボールをしていたため、日常の中にバスケットボールが当たり前のように存在していたのでしょう。
父親が富樫勇樹さんの子どもの頃についてこのように語っていました。
小1のときから『うまい!』と思っていけど、小4では『別格』になっていました。そもそも子供の頃の写真を見返すと、2歳の頃にはおもちゃのリングに向かってシュートを打つ姿がワンハンドのフォームだったのには驚きましたね。幼い頃から感性がズバ抜けていました
sportsnavi
実の父親も絶賛するほどの技術を、幼いころから持ち合わせていたとは驚きですよね!
小学生のころは、父親が監督を務めるミニバスチーム「新発田キッズ」に所属していました。
チームには様々な年齢の子どもがいましたが、その中でも富樫勇樹さんは群を抜いてドリブル力、パス回しがうまかったそうです。
さらにバスケットボールに力を入れるようになったのは、小学校4年生の頃からでした。
その頃からポジションはポイントガードをしており、体格の違う6年生の子ども相手にキレのあるドリブルをして周囲を圧倒していたとのことでした。



父親が監督をしていると、つい反抗してしまいそうだけど、富樫勇樹さんは父親のアドバイスを聞き入れる素直な心を持っていたのね!
その時に父親から教えてもらった技術があります。
今も生かされており、富樫勇樹さんの持ち味ともなっているのが、
フローターシュート
あまり身長の高くない選手が使う技術で、フワッとボールを高く浮かせて打つシュートのこと。
小柄な富樫勇樹さんを見て、父親が教えてくれた技術でした。
ドリブルでは大きい選手が相手でも難なく切り抜けられるので、あとはシュート力を磨いてほしいとの願いから教えられた技術でした。



フローターシュートは今でも富樫勇樹さんの得意技だよね!
新発田市立本丸中学校
中学生になると、富樫勇樹さんはさらにバスケットボールに打ち込むようになりました。
富樫勇樹さんの出身校である新発田市立本丸中学校では、富樫勇樹さんの父親がバスケットボール部の監督を務めていました。
新発田市立本丸中学校はバスケでは強豪校として有名でしたが、富樫勇樹さんは入部当初からチームの中心的役割を担う存在でした。
そして中学3年生の時に出場した全国大会で優勝!
チームの司令塔として出場した決勝戦では、鋭いドリブルさばきにキレのあるパス、正確なシュートを決めて全国制覇へと大きく貢献しました。



決勝戦の相手中学には、現在Bリーグで活躍している田渡凌選手もいました!
さらに中学2年生と、3年生の時には日本代表選手にも選出されていました。
アメリカ/モントロス・クリスチャン高校


中学卒業後は、さらにバスケットボールの技術を磨きたい!との思いから、アメリカへと旅立つことになりました。
富樫勇樹さんが進学したアメリカのモントロス・クリスチャン高校は、NBA選手を多く輩出している強豪校です。
初めからアメリカの高校に行こうと思っていたわけではなく、バスケ女子日本代表の監督などを務めた名将中村和雄さんの勧めもあり、アメリカ留学を決めました。
英語は全く得意ではなかったという富樫勇樹さんですが、1年生の時からベンチ入りメンバーの名称であるロスターに入るほど、1年目から活躍の期待できる選手として活動していました。
アメリカでは身長2メートルを超える選手は当たり前のように存在し、その中で互角に戦うためには技術を磨く必要がありました。
当初は、アメリカ留学をあまりプラスに取られていなかったそうです。
そもそもアメリカで活躍できるなんてまったく思ってなかったから。変に気負わずに済んだし、全然無理だとは思わなかったんですよ。誰も期待してないだろうし、周りも「いい経験になるといいね」ぐらいの感覚だったはずです。
週プレnews
それに、いざフタを開けてみたら、「思ったよりも俺できるじゃん」って。
気負わずにやっていたからこそ、肩の力が抜けて富樫勇樹さんの本来の持ち味が出せたのでしょう。
高校卒業後は、大学には進学せずに日本へと帰国しました。
NCAAディビジョン1の大学から推薦が来ていましたが、入学金や授業料などの全額免除がなく、周囲からの反対もありましたが進学を断念し、日本にチームに所属することになりました。



もしあのままアメリカに残っていたらどうなっていたのか気になるところだけど、、、



でも日本に帰ってきたからこそ試合にでることができて、さらにドリブルやシュートに磨きがかかったのかもね!
富樫勇樹のバスケ経歴!


【2012年/19歳】
秋田ノーザンハピネッツに入団
【2014年/21歳】
再び渡米し、NBAに挑戦、バスケットボール男子日本代表候補に選出
【2015年/22歳】
千葉ジェッツふなばしに入団
【2021年/28歳】
東京オリンピック日本代表に選出
【2023年/30歳】
バスケワールドカップ2023のメンバーに選出
【2012年~2014年】
秋田ノーザンハピネッツに入団~再び渡米
高校を卒業後、日本での出場機会を求めて、当時bjリーグだった秋田ノーザンハピネッツに入団します。
アメリカの高校でもまれながら取得した武器をもとに、1年目から実力を発揮し、デビュー戦では15得点11アシストという、2桁の結果をふたつ残すダブルダブルを達成しました。
その当時監督だった中村和雄氏から厳しい指導を受けるものの、シュートを打って得点を取りに行くという富樫勇樹さんのプレースタイルが確立した時でもありました。



2012-13シーズンでは新人賞、2013-14シーズンでは年間ベストファイブの一員にも選ばれたんだって!
秋田で2シーズンを過ごしたのち、NBAへのあこがれを現実のものとすべく、再びアメリカへと渡ることを決意。
NBAの登竜門であるサマーキャンプに参加し、NBA史上4人目の日本人としてサマーリーグのロスター入りを果たすことになりました。
サマーリーグでは4試合に出場しています。
アシストやフィールドゴールの結果はあまり突出したものではなかったものの、出場時間10分51秒の中で12点をあげるなど、父親から教えてもらった2本のフローターショットは十分記憶に残るプレーだと言えるでしょう。
サマーリーグ終了後、日本代表に選出され2014年アジア競技大会に出場しましたが、富樫勇樹さんは足首を負傷し、アジア大会では出場機会はありませんでした。
その後はテキサス・レジェンズに入団するも、またしても足首を負傷し、結果1試合平均の出場時間が8分、平均得点2.0という記録にとどまることになりました。
【2015年~現在】
千葉ジェッツふなばしに入団
日本に帰国後は、千葉ジェッツふなばしに入団することになりました。
足首が完治した富樫勇樹さんは日本代表に選出され、強化試合などに出場しています。
イタリアのチームでプレーする機会もありましたが、チーム側からレギュラーシーズンの契約はしないとのことで、再び帰国し千葉ジェッツふなばしに戻ってくることになりました。
千葉ジェッツふなばしではチームのエースとして活躍。
2016年から2021年のレギュラーシーズンベストファイブに続けて、シーズンMVP、アシスト王など様々な記録を残しています。


そして2019年には日本人初の1億円プレーヤーとして名を広めることなりました。
富樫勇樹さんは入団会見で、
今の子どもたちが高校生、大学生になり、将来のことを考えたときにお金のことは当たり前のように全員が考えることです。僕がこうやって金額を発表することで、Bリーグが夢のあるリーグだと感じてもらえたらうれしい
月刊バスケットボールWEB
こう話していました。
バスケットボール選手は夢のある職業ですが、一般企業に勤める人より引退する年齢ははるかに早いです。
現実問題として、収入面を考えるのは当然といえます。
子どもの頃はバスケットボールが好きだから続けていても、それを職業として考えたとき、実際に生活がしていけるのか気になりますよね。
富樫勇樹さんは1億円というリアルな金額を発表することで、スポーツ選手は夢のある職業であり、それはお金の面でも実力に比例して安心してプロが目指せることを示したかったのだと思いました。
2022年-2023年では千葉ジェッツふなばしのシーズンキャプテン、8月に行われるバスケワールドカップでもキャプテンを務めることになりました。
富樫勇樹の家族構成は5人で両親(父親/母親)や姉と妹もバスケ経験者
現在、一流バスケットボールプレイヤーとして活躍している富樫勇樹さんですが、5人家族になります。
●父親:富樫英樹さん
●母親:富樫恵子さん
●姉:富樫早紀さん
●長男:富樫勇樹さん
●妹:富樫南さん
一体、ご家族はどんな方たちなのか、詳しく見ていきます。
父親:富樫英樹


父親の富樫英樹さんは、バスケの監督や学校で顧問をしています。
富樫勇樹さんの出身校である新発田市立本丸中学校のバスケットボール部の監督をしていました。
新発田市立本丸中学校はバスケの強豪校であり、2008年と2010年に全中日本一を達成をしています。
現役時代のポジションはポイントガードで富樫勇樹さんと同じですね。



富樫勇樹さんと同じポイントガードだからこそ、低身長を生かしたプレーを教えることができたのね!
現在は2014年に開校した開志国際高等学校のバスケットボール部で総監督を務めており、2016年にインターハイに出場しベスト8、2018年に全国制覇を成し遂げる快挙を成し遂げています。
母親・姉・妹もバスケ経験者
富樫勇樹さんの家族は、父親だけでなく、母親、姉、妹もバスケ経験者というバスケ一家出身です。
母親や姉、妹のバスケの経歴は見つかりませんでしたが、子どもの頃からバスケットボールが身近にあったことを考えると、姉妹2人とも子どもの頃から富樫勇樹さんとバスケットボールをしていたことが想像できますね。
富樫勇樹さんがバスケットボールを始めたきっかけは、姉がミニバスをやっていたことがきっかけです。
気づけば富樫勇樹さん、さらに妹もあとからバスケットボールをはじめとのことでした。



両親がバスケ経験者というのはとても恵まれた環境だね!
富樫勇樹の結婚したのは一般女性で子供は?
富樫勇樹さんが既婚者であることは明らかにされています。
名前があゆみさんで富樫勇樹さんと同じ秋田県出身、ということはわかりましたが、スポーツ選手や芸能人ではなく一般人のため、画像などは見つかりませんでした。
以前のインタビューで、好きなタイプが身長166cm以下と語っていたので、おそらく奥様も166cm以下なのだと思われます。
結婚していたのはいつ?
結婚した時期も明らかにされていませんが、奥様の出身が秋田県なので、アメリカ留学から帰国後、秋田ノーザンハピネッツに入団した時に出会い、交際に至ったのではないかと推察します。
2017年の記事に、結婚していることを話しているコメントがあったので、結婚したのは2017年以前ということになりますね。



2017年頃には千葉ジェッツふなばしに入団していので、千葉で夫婦生活をおくっているのかな!
子供について
子どもについても公表はされていませんが、結婚してから6年以上は経っていることを考えると、子どもがいても不思議ではありませんね。
結婚していたことをあえて公表せずにいたので、子どもができたこともあえて公表しないことは十分に考えられます。
もし子どもがいたとしたら、富樫勇樹さんと同じように子どものころからバスケットボールが身近にある幼少期を過ごしているのではないでしょうか。
まとめ
ここまで富樫勇樹さんのバレーボール選手として、そしてプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・新潟県新発田市出身の29歳
・身長は高くないが、キレのあるドリブル、シュート力がすごい
・中学卒業後はアメリカの高校に留学していた
・日本人4人目となるサマーリーグのロスター入りを果たす
・2019年には1億円で契約更新する
・5人家族で3兄弟の真ん中
となります。
2023年バスケワールドカップではキャプテンとしてメンバー入りしている富樫勇樹さん。
父親直伝のフローターシュート、スピード感のドリブルがまた見られると思うと今から楽しみですね。
海外にもまれてきた富樫勇樹さんのプレーに期待です!
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