2023年9月30日(土)から、ベルギーのアントワープで体操世界一を決める大会、世界体操競技選手権が開催されます。
日本からは男女5名ずつの選手が出場予定。
どの種目でもメダル獲得に期待が寄せられていますが、今回は、その中でもひときわ注目を浴びている選手、平均台のスペシャリストの芦川うららさんについて検証してみたいと思います。
東京オリンピックで6位入賞、さらに2021年の世界体操選手権では、平均台で金メダルを獲得した芦川うららさん。
若干18歳で世界一に輝いた芦川うららさんが、子どもの頃はどんな環境で過ごし、日々練習に打ち込んできたのか気になりますよね。
この記事では、
・芦川うららさんの家族構成が知りたい
・芦川うららさんの実家はケーキ屋さん!
・芦川うららさんのお姉さんも体操選手?
・芦川うららさんの両親について
これらのことを中心にまとめてみました。
芦川うららさんのことが気になっていた方も、体操の平均台が好きだという方もぜひ、最後までお付き合いください。
芦川うららの家族構成は6人

芦川うららさんは、6人家族です。
・父親
・母親(芦川孝子さん)
・長女(芦川桃香さん)
・次女(芦川七瀬さん)
・三女(芦川実鈴さん)
・四女(芦川うららさん)
となります。
末っ子と言えば、甘え上手や調子がいいなどのイメージがありますが、空気を読む力や、人を見極める力があるとも言われています。
4姉妹の末っ子で生まれた芦川うららさんは、確かに笑顔が可愛く甘え上手な表情を見せてくれることもありますよね。
また、末っ子には意外と冷静な一面があることも。
平均台の上でバランスを崩し落下しそうになった時、つい見てる側が焦ってしまいそうになりますが、芦川うららさんは冷静に体制を整え、最後まで演技をやりきる力があります。
2021年の世界体操選手権では、途中で体勢を崩し、まるでマトリックスを思い起こさせるかのような、身体を約90度も後ろにのけ反らせて3秒間も耐えた、ということがありました。
平均台から落下の危機に危ぶまれることがあっても、冷静に対処しバランスを立て直すところが、末っ子である芦川うららさんの技術の高さを物語っています。

芦川うららさん本人は、マトリックスと言われることが恥ずかしかったんだって!
芦川うららの実家はケーキ屋
芦川うららさんの実家は、静岡県富士市でケーキ屋さんをしています。
お店の名前は、
パティスリー ラ・モナミ
店名の由来は、4姉妹の名前から一文字取りました。
・四女うららのら
・長女桃香のも
・次女七瀬のな
・三女実鈴のみ
4人合わせてラ・モナミとなります。
以前は漢字で「苺南実」(モナミ)としていたそうですが、平成26年に移転をしたことをきっかけにパティスリー ラ・モナミと変わりました。



子どもたちの名前を店名にするなんて、微笑ましいよね!
お店の外壁はサーモンピンクで、まるで海外のカフェのようなおしゃれな雰囲気があるパティスリー ラ・モナミは、地元でもおいしいと評判のケーキ屋さん。
パティスリー ラ・モナミで一番人気の窯出しシュークリームは、注文後にクリームを詰めるため、クッキーのようなサクサクしたシューと、濃厚なカスタードが相性抜群のスイーツです。



芦川うららさんたち四姉妹も、小さいころから両親が作ったおいしいスイーツを食べて育ったんだろうね。


芦川うららの両親(父親/母親)はどんな人?


平均台のスペシャリストとなった、芦川うららさんを育てた両親はどんな人だったのでしょうか。
子どもたちが体操をしていたことはわかっていますが、両親についてはケーキ屋さんをしている以外、情報は見つかりませんでした。
スポーツ選手の場合、両親が子どもと同じスポーツの元選手であったり、引退後はコーチやスクールを経営していることがよくあります。
しかし、芦川うららさんの両親が元体操選手であったり、コーチやスクールをしているという情報が見つからなかったことから、父親も母親も、元体操選手ではなかったことがわかりました。
ケーキ屋さんをしながら4人の子育てをして、さらに体操選手としてサポートするなんて、芦川うららさん姉妹はとても愛情をもって育てられたのでしょう。
芦川うららさんは、東京オリンピックへの意気込みを聞かれたとき、
いつも支えてくれる守屋コーチと母に恩返しがしたい。母は体操館に入会した小学2年からずっと、夜の練習が終わった後、約1時間かかる自宅の富士市から迎えに来てもらっていた。
と話していました。
ケーキ屋さんの仕事が終わってから、夜に1時間かけて迎えに来てくれていた母親が、芦川うららさんにとって最大の支えであったことが伝わってきます。



オリンピック出場は、最大の親孝行になったね!
芦川うららの4人姉妹は?
4姉妹のうち、6歳上の次女七瀬さん、4歳上の三女実鈴さん、そして末っ子の芦川うららさんが体操教室に通っていました。
次女の七瀬さん、三女の実鈴さんも、芦川うららさん同様にオリンピックが期待されるほど優秀な選手だったということです。
七瀬さんの主な成績は、
・2011年全国中学校体育大会、体操女子個人総合、3位
・2012年アジアジュニア選手権の女子個人総合、優勝
実鈴さんの主な成績は、
・2018年全日本学生体操競技選手権大会、個人総合5位
・2018年全日本学生体操競技選手権大会、ゆか2位、平均台優勝
どちらも芦川うららさんに負けず劣らずの素晴らしい成績ですよね。
姉妹という最も身近なところにライバルがいることで、互いが競い合うように、時には励ましあって練習してきたのではないでしょうか。
その結果、3人が優秀な結果を残し、さらに末っ子の芦川うららさんは世界を舞台に戦える選手となったのは、両親だけでなく姉たちのサポートもあってこそなのだと思いました。
次女の七瀬さんは高校3年生の時に引退、三女の実鈴さんは静岡産業大学に進み、体操を続けていましたが、卒業と同時に引退。
現在は七瀬さん、実鈴さんともに社会人として生活をしているそうです。



芦川うららさんの名前は、スピッツの「ロビンソン」という曲の歌詞にある「るらら~」を「うらら~」と聞き間違えて、その響きが気に入ったことから付けられたんだって!



姉たちが名前を考えてくれたなんて、芦川うららさんがとても可愛がられていたのがよくわかるね。
次女芦川七瀬は病気で体操を断念
次女の芦川七瀬さんの引退理由は、
特発性脊柱側弯症
によるものとされます。
芦川七瀬さんは特発性脊柱側弯症を小学6年生の時に発症。
しかし、体操を続けたいという強い心で、身体にコルセットを巻きながら日常生活を送っていました。



体操だけでなく日常の生活にも支障をきたし、学校にいけない日もあったとか。



手術を勧められるくらい、症状が進行していたんだって。
中学生の時には痛みと戦いながらもアジアジュニア選手権の女子個人総合で優勝するなど、オリンピック出場まであと少し、というところまで体操を続けていましたが、やはり特発性脊柱側弯症の進行は止まることなく、高校3年生の時に引退を決意。
それからは、サポート役として、実鈴さんやうららさんを支えてきました。


芦川うららさんがオリンピック代表に決まったとき、
日本中の誰もが知る大舞台に、自分の姉妹が立てることは誇らしい。
自分でつかみ取った権利なので、出せる力を100%出して楽しんでもらいたい
と芦川七瀬さんは話していました。
もしかすると自分が立っていたかもしれない大舞台に、妹である芦川うららさんが出ることになったことは、七瀬さんにとって悔しさよりも誇らしさが勝っていることが感じ取れますよね。
芦川うららさんが体操を始めたきっかけは、姉たちが体操をしていたからです。
オリンピックを目指すことになったことも、体操を続けられているのも、姉たちのおかげであり、大切な存在だと話していました。
まとめ
ここまで芦川うららさんの主なプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・芦川うららさんは6人家族で4姉妹の末っ子
・実家は、静岡県富士市でケーキ屋さんをしている
・次女、三女ともにオリンピックを目指す優秀な体操選手だった
・次女の七瀬さんは小学6年の時に特発性脊柱側弯症を発症し、高校3年の時に引退
となります。
幼いころから、二人の姉たちと共に励ましあいながら続けてきた体操。
今では4姉妹のうち体操を続けているのは芦川うららさんだけになりましたが、自分が体操を続けていられるのは両親、姉たちという大切な存在に支えられてきたからなのでしょう。
芦川うららさんのこれからの活躍に期待しています!


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