迷彩服を身にまとい、七三分けの髪型に『は~い!』という甲高い声が印象的な、ピン芸人やす子。
いつもニコニコ笑っており可愛い笑顔を持っているそんなやす子ですが、実は子供時代に壮絶な生活をしていたことを出演した番組で明かしました。
やす子の笑顔からは想像もできなかった壮絶な生い立ちとは一体どんなものだったのでしょうか。
そこで今回は、
●やす子の生い立ちが壮絶と言われる理由
●やす子のプロフィールや学歴経歴が写真付きで知りたい!
という内容についてまとめていきたいと思います。

現在のやす子さんからは想像できないエピソードとは一体なんだろう?涙なしでは語れないね…
やす子の生い立ちが壮絶と言われるエピソード4つ!


●壮絶エピソード①:極貧生活で児童養護施設に入所
●壮絶エピソード③:高校時代にいじめ
●壮絶エピソード④:父親と20年間音信不通
●壮絶エピソード⑤:衣食住が揃っている自衛隊に入隊
壮絶エピソード①:極貧生活で児童養護施設に入所


2歳の頃に、両親が離婚し母親に引き取られたやす子。
しかし、そんな母親との関係も良くなく、かなり極貧生活を過ごしていたことを匂わせたことがありました。
母親については現在でもほとんど語ったことがないやす子なのですが、中学生の頃から母親に内緒で、自ら児童養護施設に保護されに行っていたことがわかっています。
その理由についてもわかっていませんが、児童養護施設に保護されるということは母親のネグレクトや虐待、お金がなく食事をすることができないなど、命の危険を感じる事案があった時が多いため、やす子の母親はネグレクトだったのではないかという噂も浮上。
母親に内緒で児童養護施設に行った理由についても、『言えない』ということなので、あまり公にはしたくないほど壮絶だったことが予想できますね。
そして、やす子の人生が急激に悪化したのは14歳か15歳の時に遭った交通事故。
当時について、やす子は以下のように明かしています。


14歳か15歳の時に死ぬくらいの事故に遭いました。そこから一気に人間関係も家庭環境も悪化して、学費も払えなくて散々な状況でした。これ言っていいかわからないですけど、本当に人生をやめちゃおうかなって思う時がありました。
と自ら命を絶とうと考えたこともあったとのこと。
それ以降の16歳~18歳の頃は施設で過ごしたやす子。
施設では、三食のご飯が出てきて、寝る場所もあるということで、ようやく自分の居場所ができたと感じたといいます。



人間が生きる上で基本である衣食住が、やす子さんの場合はできなかったんでしょうね。今生きてくれていることが本当に嬉しい…
関係が最悪だった母親とは、16歳~22歳まで6年間全く会うことがなかったということですが、芸人になってからは喋るようになったと明かしていました。
壮絶エピソード②:高校時代にいじめ
児童養護施設に入所後、高校に通い始めたやす子は施設から通っていることを周囲には伏せていたのですが、ある時、皆に知られることに。
それがきっかけで、学校に行くことができなくなり、保健室登校になってしまいます。
当時のやす子の状況は、制服はお下がり、水泳部に入部したものの買い替えることができなかったため3年間同じ水着を着用、修学旅行の費用は学校の先生が出してくれたとのこと。
それだけではなく、壮絶ないじめがやす子を待ち受けていたのです。
きっかけとなったのが、しつこく愚痴を言ってくる友達に対し、やす子が
〇〇ちゃんって、ほんと女子だよね
と言った一言でした。
それが瞬く前にクラスに広がってしまい、仲間外れに。
そのため、高校時代の3年間はトイレでご飯を食べて、休み時間などは図書室で過ごしていたとのこと。
家庭環境の悪化だけではなく、いじめにも遭ってしまったことで、現在でも人間関係に苦手意識を持っています。



人生のおいて多感な時期に壮絶な経験をしたことが、現在のやす子さんいも影響を与え続けているんだね…
壮絶エピソード③:父親と20年間音信不通


2歳の頃に別れた父親とは20年間音信不通状態が続いたやす子だったのですが、芸人として顔が売れ出した頃に、SNSに一通のメッセージが届きました。
自分の個人情報、生まれた時間、日にちを知っている人からリプライが来たんですよ。何で知ってるんだろう?と思ったら、自分のお父さんでした。
と20年間音信不通だった父親からのメッセージだったのです。
その後、2022年に久々に父親と再会したやす子は、
再開できたというのは、芸人になってよかったなって
と明かしています。
そして、2023年2月に出演した『しゃべくり007』に出演した際には、手紙を書いてくれた父親。
その手紙には、やす子の祖父がテレビで活躍しているやす子を見て、父親に報告したところ、自分の娘だと瞬間でわかったと書かれていました。
その時には、やす子の本名が『かのん』であることも明かしており、父親は『かのん』と呼んでいたことも印象的でしたね。
やす子にとっては2歳で別れた父親だったため、『生物上の父親』と認識しており、一切記憶はなかったとのこと。



父親はいないと思って生きてきたやす子さんにとって、父親のとの再会は奇跡だよね!
さらに、父親と再会し驚くべき事実が判明。
それは、父親も自衛官だったこと。
父親は元自衛官だったんです。水泳も柔道もやっていて、しゃべり方とか見た目とか、ちょっと人見知りなところとか、そっくりでびっくりしました。
と、自分の生き写しのようだったと奇跡的な再開を語っていました。
この再開がきっかけで、今でお連絡を取り合っている2人。
死ぬまでに親孝行できたらいいなと話しています。



ようやくやす子さんに本当の家族ができた瞬間だったでしょうね!
壮絶エピソード④:衣食住が揃っている自衛隊に入隊


高校卒業後、迷わず自衛隊に入隊したやす子。
その理由は、衣食住が揃っているから。
18歳を過ぎたら、誰も助けてくれない。未成年で家も借りられないので、衣食住が揃っているところに、安定を求めて入りました。
と生きるために自衛隊に入隊したと明かしています。
そんな自衛隊には2年間所属し、契約が終了したため、20歳で成人したことをきっかけに、除隊したとのこと。
その2年間は京都府の大久保駐屯地の施設科に配属。
ブルドーザーオペレーターとしてブルドーザーの操縦をしたり、整備などの勤務を行っていました。
自衛隊と言えば厳しく辛い訓練というイメージですが、やす子にとっては、
人生の中で一番愛されていた時期、居心地がよかった場所
だったとのこと。
そのため、辞める際は、
君を駐屯地から出すわけにはいかない!君は社会でやっていけないから。ごはんも自由におかわりしていいから!
と引き留められたというエピソードが残っています。
それでも自衛隊をやめた理由には特にこれというものもなく、芸人に進むこともまだ決まっていなかったということで、何となく辞めようと思ったとのこと。



そこまで言って引き留めてくれる何て本当にやす子さんは可愛がられていたんだろうね!
自衛隊は辞めたものの、今でもいざという災害などに備え即応予備自衛官として年間30日間の訓練を受けています。



日本で大規模災害が起きた時、やす子さんが活躍する日が来るかもしれないわね!
やす子のwikiプロフィール


●本名:安井かのん(やすい かのん)
●活動名:やす子
●生年月日:1998年9月2日
●年齢:24歳(2023年8月時点)
●出身地:山口県宇部市
●身長:154㎝
●血液型:A型
●所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
山口県宇部市に生まれたやす子。
現在の肩書は『芸人』だけではなく、『現役即応予備自衛官』。
大型特殊免許も所持しており、特技は射撃・水泳・柔道。
身長は154㎝と小柄ですが、とても頼もしく感じますね。



見た目は小さくて可愛いいけど、自衛隊出身ということで、いざという時には守ってくれそうね!
やす子の学歴と経歴を昔の写真付きでまとめ!


やす子の最終学歴は、
高卒
です。
では、さらに詳しい学歴&経歴を以下にまとめていきましょう。
【2004年/6歳】
小学校入学
【2010年/12歳】
宇部市立西岐波中学校入学
【2013年/15歳】
山口県立宇部中央高校入学
【2016年/18歳】
自衛隊入隊
【2019年/21歳】
芸人デビュー
【2004年/6歳】小学校
やす子の出身小学校については明かされていません。
しかし、山口県宇部市出身で、通っていた中学校の校区から推測すると、
●宇部市立西岐波小学校
●宇部市立常盤小学校
●宇部市立上宇部小学校
の3つに絞られることから、上記3校のどこかの小学校に通っていたと思われます。
小学校時代についてはほぼ明かされていなかったのですが、つい最近になり、やす子の小学校の卒アル画像が公開されました。
それがこちらです。





めちゃくちゃ面影残ってるよね!
【2010年/12歳】宇部市立西岐波中学校


小学校を卒業したやす子は、
宇部市立西岐波中学校
に進学。
水泳部に所属し、極貧生活を送りながらも充実した毎日を送ってきたやす子だったのですが、14歳か15歳の頃に事故に遭い、生死をさまようことに。
その後から、人間関係や家庭環境が一気に悪化してしまいます。
そのため、中学校時代にはやす子さん自身が写った画像などは一つも出回っていませんでした。
それだけ、辛い日々を過ごしていたということなのでしょう。
結果、この頃から母親にだまって児童養護施設での保護を繰り返し行っていたとのこと。
しかし、やす子には当時憧れを持った職業がありました。
それは漫画家です。
中学生になり初めて読んだ漫画『バクマン。』に憧れ漫画家を目指していたやす子。
過去に出演した番組では、自分が書いた漫画を披露したこともありました。


この絵タッチを見たMCの芸人たちは絶賛していましたね。
しかし、家庭環境などを理由に漫画家になる夢を諦めたと明かしていたのですが、最近になって、
いつかはやってみたいと思います。
と再度漫画家にチャレンジする熱意を語っていました。



素人ではなかなかここまで書くことができないよね!いつかやす子さんの漫画を見てみたい!
【2013年/15歳】山口県立宇部中央高校


中学校を卒業したやす子は、
山口県立宇部中央高校
に進学。
この高校は、弓道の強豪校として知られており、その他にも有名人が数多く卒業しています。
高校時代に所属していた部活は水泳部と柔道部の2説があるのですが、実際のところは両方の部活に所属していたというのが事実です。
しかも、普通に泳げるレベルではなく、県大会に出場するほどの実力者でした。



バタフライ1位、自由形3位とすごい成績を残しているよ!
そして、水泳部と両立し、柔道も開始したやす子は『第38回全国高等学校柔道選手権大会山口県予選会』の57㎏級にやす子の名前を発見。


当時の帯の色は『黒』。
高校時代から開始したにも関わらず、黒帯を取得しているとは、運動神経抜群なことがわかりますね。
ちなみに、高校時代のやす子がこちら。


髪型以外は本当に変わっておらず、そのまま大きくなったイメージですね。



水泳に柔道に好成績を残していることが本当にすごいわね!
【2016年/18歳】自衛隊入隊


高校を卒業したやす子は、最低限の生活を求めて衣食住が揃っている自衛隊に入隊。
京都にある大久保駐屯地の第3施設大隊に所属し、施設科に在籍することに。
ブルドーザーオペレーターとして勤務していました。
階級は『陸士長』という役職だったといいます。
当時のやす子がこちら。


今より少しスマートなやす子ですが、可愛い笑顔はそのままです。
やす子が自衛隊にいた期間は2年ということなので、契約更新をせずに辞めたということになりますね。
自衛隊時代はとても可愛がられていたやす子ですが、あっさり2年で退職し、清掃員や中学校の用務員として勤務したのち、自衛官時代から付き合いのあった友人の誘いで上京し、芸人をすることに。



自衛隊からお笑い芸人…全く接点がない職業だけど、気持ちの切り替えがすごいよね!
【2019年/21歳】芸人デビュー


中学校の用務員として勤務をしていた時期に友人から『漫才をしたい』と言われ一つ返事で『いいよ』と返事をしたやす子は、すぐにあらゆる事務所に履歴祖を送り、現在の所属事務所から返信がきたとのこと。
しかし、誘ってきた友人はもっと若手の多いところに行きたいということで、当日に行われる事務所ライブに来ず、やす子は一人で人生初ライブに出演しました。
そこからピン芸人として活動することになったやす子なのですが、自衛隊時代の2年間全くテレビを見ることがなく、芸能界や芸人の世界を全く知らなかったとのこと。
もし、芸人になる前にわかっていたら、
絶対に断っていただろうなと思います。
と語っていました。
その後、2021年1月1日に放送された『ぐるナイおもしろ荘2021』にテレビ初出演を果たし、見事3位に。
2021年1月からは『サンデー・ジャポン』のリポーターを務めたり、2021年4月には宇部ふるさと大使に就任するなどブレイク芸人となりました。





壮絶な生い立ちだったやす子さんだけど、芸人になりブレイクした今、とても幸せでしょうね!
まとめ
今回は、芸人として活躍しているやす子の壮絶生い立ちエピソードについて紹介してきました。
生きることが辛いと思うほど、壮絶な生い立ちを過ごしてきたやす子ですが、それでも前を向いて進んできたからこそ今のやす子がいるのでしょうね。
頑張って生きてきた結果、20年音信不通だった父親との再会、自衛隊ではたくさんの愛情をもらい、芸人としてブレイクしたやす子は間違いなく、『生きてきてよかった』と胸を張って言える心境だと思います。
芸人とは常にブレイクするとは限らない厳しい世界だと思いますが、これまでの人生を考えれば物ともしない精神力を持っていると思うので、長く頑張ってほしいですね。