フィギュアスケートの羽生結弦さんが2023年8月4日の夜11:11に結婚を発表しました!
羽生結弦さんは、2022年に競技人生に終止符を打ちプロスケーターへの転向を発表されていますが、それまではオリンピック2連覇のみならず素晴らしい功績を残されてきた、まさに日本の宝です。
そんな羽生結弦さんは、どの様な環境で育ってきたのでしょうか?学歴や経歴等気になりますよね♪
そこでこの記事では・・・
●羽生結弦さんのWikiプロフィール
●羽生結弦さんの学歴・経歴
●羽生結弦さんの歴代コーチ
これ等についてまとめていきます!
羽生結弦のWikiプロフィール

引用:Yahoo!ニュース
羽生結弦Wikiプロフィール
●名前:羽生 結弦(はにゅう ゆづる)
●生年月日:1994年12年7日(2023年8月現在 28歳)
●出身地:宮城県仙台市泉区
●身長:172cm
●体重:57kg
羽生結弦の生い立ち
羽生結弦選手は宮城県仙台市泉区の県営住宅で生まれ育ちました。
両親と4歳年上のお姉様との4人家族で、お父様は中学の教頭・母は専業主婦・お姉様は以前羽生結弦選手のホームリンクだったアイスリンク仙台に勤務しています。
フィギュアスケートはとてもお金がかかる競技で、ご両親の献身的な支えがなければ続ける事は難しいと言われています。
羽生結弦選手のお父様は公務員ですので収入は安定しているものの、決してお金持ちというわけではありません。
県営住宅にお住まいでしたので家賃は5万円程でしたが、さらに節約する為に羽生結弦選手が高校生の頃までは競技用の衣装を全てお母様が手作りされていました。

お母様が作ってくれた衣装だからこそ、
アイスリンク上で輝けたのかもしれませんね!
羽生結弦さんがオリンピックで金メダルを獲得して以降は取材が殺到した為、羽生家は県営住宅から仙台市内にあるマンションに引っ越しされています。
フィギュアスケートを始めたきっかけ
羽生結弦選手は2歳の頃から小児喘息を患っていました。
小児喘息の子供にはスポーツをさせた方がいいと言われている為、先に始めていた姉の影響もあり、羽生結弦さんは4歳からスケートを始める事になりました。
羽生結弦さんのお父様は野球をされていた為、お父様の影響で幼い頃の羽生結弦さんはボール遊びが大好きでした。
しかし小児喘息を持っていた羽生結弦さんは、咳の為に走る事もままならなく野球を始めるには難しい状況でした。
夜は眠れないほどの咳が続く事もあったと以前語っていました。



小さな身体で辛かった事でしょう・・・
羽生結弦さんのお母様は喘息を心配し、なんとか克服させてあげたいと考えていた為、埃を吸い込む可能性が少ない屋内でのスケートを勧めました。



お姉様が先にスケートを始めていたから、
羽生選手も自然に始められたのでしょう。
幼少期に指導していたインストラクターの都築章一郎コーチによると、
初めは喘息を治す為にはじめたフィギュアスケートでしたが、体幹が凄くしっかりしており、その頃から世界に通用する選手になるのではないか?といった素質が見受けられていた事を話しています。
また羽生結弦さんの負けず嫌いは幼少期からの事で、転んでも転んでも何度でも起き上がり、ジャンプやスピンにもどんどん挑戦している子供だった事も明かしています。



お姉様にも負けたくない!
といい刺激になったのかもしれませんね。
羽生結弦の学歴
羽生結弦さんの最終学歴は大学卒です。


引用:NumberWeb
羽生結弦の学歴
【2007年/12歳】仙台市立七北田小学校卒業
【2010年/15歳】仙台市立七北田中学校卒業
【2010年/15歳】東北高等学校入学
【2013年/18歳】東北高等学校卒業
【2013年/18歳】早稲田大学人間科学部通信教育課程入学
【2020年/25歳】早稲田大学人間科学部通信教育課程卒業
羽生結弦さんは高校生の頃からカナダのトロントに拠点を移し、フィギュアスケートの練習に励んでいましたが、フィギュアスケートと学業を両立してこられたトリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんに憧れ、自身も大学へ進学する道を選びました。
それでは通っていた学校についてみていきます。
出身小学校は仙台市立七北田小学校


引用:七北田小学校公式
仙台市立七北田小学校
所在地:宮城県仙台市泉区七北田東裏90
家族で居住していた県営住宅から公立の七北田小学校に通っていました。
4歳からフィギュアスケートを始めていますが、小学2年生~3年生頃から本格的に競技人生を歩んでいます。
当時大会や合宿で一緒になる機会があった方のお話によると、羽生結弦さんは小学生の頃からとても高い技術の持ち主だった事がわかります。
1人だけズバ抜けてうまかったのはもちろんの事、練習の時の集中力が凄かった!
オンとオフの切り替えが上手。
始まる前に時間があるとみんなで遊んでいる事もあったものの、練習時間が近づくと雰囲気が変わる。


と当時の事を話していました。



子供の時から誰もが認めるスケーターだったんですね♪
出身中学は仙台市立七北田中学校


引用:ホームメイト
仙台市立七北田中学校
所在地:宮城県仙台市泉区七北田東裏100
中学生になった羽生結弦さんは中学校1年生の頃、周りの方に「もうやらなくていいよ」と言われた事がありました。
その時、幼少期からスケートをやってきた羽生結弦さんは自身からスケートがなくなったらどうなるのか?と不安に思っていました。
スケートが好き!という気持ち以前に、自身がやってきたものが全てなくなると思うと怖くなり、土下座してまで
お願いします!やりたいです!


と懇願した事がある過去をご本人が話しており、羽生結弦さんはこの時の選択が人生において一番に大きな選択だったと豪語しています。



まさにスケートは羽生結弦さんの人生そのものですね。
出身高校は東北高等学校


引用:東北高校 泉キャンパス
私立東北高等学校
所在地:宮城県仙台市泉区館7丁目101-1(泉キャンパス)
偏差値:42(スポーツコース)
羽生結弦さんが通っていた東北高校はスポーツが盛んな事で有名です。
また羽生結弦さんは、スケートのみならず学業にも真摯に取り組んでいましたので、数学の教師をしていたお父様から「スケートだけではなく勉強もしなければいけない」と厳しく育てられていたのではないでしょうか?
高校在学中には、カナダのトロントへ拠点を移して練習に励んでおり、方々へ遠征の際にも教科書や参考書等を持って行って勉強していました。
そんな羽生結弦さんの高校の先輩には、トリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんがいらっしゃいます。
荒川静香さんは東北高校卒業後は早稲田大学に進学されました。
そして憧れだった荒川静香さんの背中を追いかける様に羽生結弦さん自身も早稲田大学へ進学する事を決めました。
出身大学は早稲田大学


私立早稲田大学人間科学部通信教育課程
偏差値:人間科学部通信教育課程(eスクール)に偏差値はナシ
羽生結弦選手は東北高校卒業後、早稲田大学のeスクール(通信教育)に進学いたしました。
eスクールと通学生との違い
★講義やレポートの提出等、ほぼ全ての学業をweb
★eスクールは書類選考と面接試験のみにより学力試験がない為、偏差値はナシ。
★卒業後は通学生と同等の扱い
またeスクールの学部は人間科学部のみとなっております。
そういった事から入学は優しいものの、卒業するのはかなり困難で、卒業者は入学者のおおよそ40%~50%とも言われています。



入りやすく卒業が困難なんて、
アメリカの大学と似ているね!
羽生結弦さんはソチオリンピックの1年前に早稲田大学に入学いたしました。
オリンピックへ向けて練習に励んでいた事もあり、初めの1年間はほぼカリキュラムをこなせずに過ごしました。
ソチオリンピックが終わってからは今までの文を取り戻すべく学業に励みましたが、平昌オリンピックを控えており、学業が疎かにならざるを得ませんでした。
その為、4年間では卒業できず、留年する事になりました。



世界一(金メダル)を目指しているわけですから
仕方ない事ですよね・・・
しかし何とか卒業したい!と強い意志を持っていた羽生結弦さんは、フィギュアスケートと学業の両立の為、当時の睡眠時間は2時間程度の日も多々あった事を明かしています。
そして努力の甲斐あって、無事6年半かけて早稲田大学を卒業いたしました!
羽生結弦の経歴


引用:GOETHE
羽生結弦の経歴
【1999年/4歳】
喘息克服の為、フィギュアスケートを始める
【2004年/9歳】
全日本ノービスで優勝
【2004年/10歳】
初の世界大会に出場し、ノービスで優勝
【2008年~2009年/中学2年生】
ISUジュニアグランプリに挑戦
全日本ジュニア選手権で優勝
全国中学校スケート大会で優勝
世界ジュニア選手権に大会最年少で出場
ジュニアグランプリ トルン杯で優勝
ジュニアグランプリ クロアチア杯で優勝
ジュニアグランプリ ファイナルにて史上最年少で総合優勝
【2009年~2010年/中学3年生】
世界ジュニア選手権にてフリースケーティングで優勝
【2010年~2011年/高校1年生】
シニアデビュー
シニアデビュー初戦で4回転トウループに成功
全日本選手権で4位
四大陸選手権で銀メダルを獲得
【2011年3月11日 東日本大震災】
復興支援の為、数々のアイスショーに参加
【2011年~2012年/高校2年生】
ネーベルホルン杯にて シニアクラスの国際大会で初めて優勝
ロステレコム杯にてグランプリシリーズ初優勝
世界選手権代表に初出場で銅メダルを獲得(日本男子 最年少記録)
【2012年~2013年/高校3年生】
カナダのトロントへ母と移住
フィンランディア杯にて優勝(トゥループ・サルコウの4回転ジャンプを成功)
グランプリシリーズの初戦スケートアメリカで歴代最高得点を記録(ショートプログラム)
グランプリシリーズの第2戦NHK杯で歴代最高得点を記録(ショートプログラム)
グランプリファイナルで2位
全日本選手権で初優勝
四大大陸選手権で2位
左膝故障
ケガにより2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦を辞退
【2013年~2014年/大学1年生】
全日空(ANA)と所属契約
フィンランディア杯で優勝
スケートカナダで2位
エリック・ボンパール杯で2位
グランプリファイナルで初優勝(ショートプログラムで歴代最高得点を記録、フリーで自己ベストを更新)
【2014年/大学1年生】
ソチオリンピックで金メダルを獲得(アジア人初)
男子シングル個人種目のショートプログラムにて公式大会世界最高得点(101.45点)を記録※史上初の100点超え
紫綬褒章を受章
【2017年/22歳】
世界初の4回転ループ成功とグランプリファイナル4連覇
【2018年/23歳】
平昌オリンピックで金メダルを獲得
国民栄誉賞を受賞
紫綬褒章を受章
【2022年/27歳】
競技会への参加は引退し、プロスケーターへ転向
【2023年/28歳】
8月4日 結婚を発表
小・中学生時代


引用:スポーツナビ
小学4年生の時にはノービスの全国大会で初めて優勝いたしました。
その後2006年(11歳)にはミヤギテレビで羽生結弦さんの特集が組まれ、天才スケーターとして取り上げられていた事があります。
またその年の2006年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権で7位の結果を残しました。



小学6年生の時から天才少年として、
注目されていたのですね!
そして中学1年の時には全日本ジュニア選手権で3位に輝きました!
【2010年/15歳】
シニアデビュー


引用:FRAU
羽生結弦さんは高校1年生の時に、シニアデビューいたしました。
フィギュアスケート シニアの定義
新シーズン前の7月1日までに15歳になっている事がシニア国際競技に出場する条件です。
しかし改正により2024年ー2025年シーズン以降は17歳以上に変更される予定。
【2011年/16歳】
東日本大震災


引用:朝日新聞デジタル
羽生結弦さんは高校1年生の時、東日本大震災の被害にみまわれました。
その際、被災地の為に滑ろうと初めは思っていましたが、
それは違う!僕は支えられている立場なんだ!
応援を受け止め、演技する事が恩返しになる!


と震災の苦しさを乗り越えました。
そしてシニアデビューした翌年、高校2年生の時には四大陸選手権で見事銀メダルを獲得いたしました!
史上最年少でメダリストとなり、世界中から脚光を浴びる事になりました。
【2012年/17歳】


引用:応援コラム
高校3年生になった羽生結弦さんは自身のレベルアップの為、カナダのトロントへ拠点を移して本格的に世界1を目指す事にいたしました。
この時は父親と姉を日本に残し、お母様と2人でトロントに移り住んでいます。
トロントに移ってからの羽生結弦さんは4回転ジャンプを次々に成功させ、世界で活躍する選手に成長していきました。
しかし左膝のケガにより、世界フィギュアスケート国別対抗戦を辞退せざるを得なくなりました。
【2013年/18歳】


引用:早稲田大学公式
高校卒業後、大学へ進学する事を決めた羽生結弦さんは、早稲田大学の通信教育課程といった道を選択し、フィギュアスケートと学業の両立を続けていく事にしました。
世界1を目指す羽生結弦さんにとって非常に過酷な日常を過ごす事となりますが、自分に厳しく努力家である羽生選手はあえて文武両道の道を選択しました。
【2014年/19歳】
ソオチオリンピックで金メダル


引用:JIJI.com
この笑顔がたまらないですね!
この為にやってきたといっても過言ではないほどに嬉しかった事と思います。
【2014年-2015年/19歳】
尿膜管遺残症により手術
断続的に続いていた腹痛により、緊急入院した羽生結弦さんは精密検査の結果「尿膜管遺残症」と診断され、2014年12月30日に手術を受けました。
手術後は2週間の入院を余儀なくされていましたが、退院後は練習を再開しており、その際はまだ腹部に違和感があった事もあいまって、練習中に右足首を捻挫し、さらに2週間休養となりました。
【2015年/19歳】
衝突事故


引用:FRAU
グランプリシリーズ第3戦の練習でジャンプの体勢に入ろうとしていた際、中国のハン・ヤン選手と衝突し、頭部から血を流していました。
その後、自らの意思でリンクに戻った羽生結弦さんの姿には、息を飲む想いでした。
この時のケガにより、顎を数針縫い、頭部は医療用ホチキスで傷口をふさぐといった大ケガをした為、ブライアン・オーサー監督には、競技出場を止められました。
しかし医師の許可を得た上でフリーの演技に挑んでいた姿は、世界中が祈るような想いでしたね・・・
【2016年/21歳】
世界選手権で銀メダル
ここで金メダルを取れない様ではまだまだだと悔しい想いを綴っていました。
世界選手権大会終了後は左足の靭帯損傷による治療の為、トロントに戻り治療とリハビリに専念する為、アイスショーへの出演は全て断念しました。
【2017年/22歳】
世界初の4回転ループ成功とグランプリファイナル4連覇


引用:JIJI.com
写真左:ネイサン・チェン(銀) 写真中央:羽生結弦(金) 写真右:宇野昌磨(銅)
フィギュアスケート男女を通してグランプリファイナルで羽生結弦選手は史上初となる4連覇を達成いたしました!
この結果を喜につつ、ノーミスでの演技を達成できなかった事に悔いしい想いも語っています。
こういった常に上を見続けているストイックさが、世界1に輝ける最大の理由なのでしょう。
【2018年/23歳】
平昌オリンピックで金メダル


引用:THE ANSWER
オリンピック2連覇の偉業を成し遂げた事はまさに66年ぶりの快挙であり、オリンピック2連覇はアジア初の記録となりました。
勝たないと意味がない!


といった自身の覚悟の元に勝ち取った金メダルでした。
しかしここ4年間は怪我や病気に苦しみ、さまざまなアクシデントにみまわれました。
会見で痛み止めを服用していなければジャンプを跳べる状態ではなかった事も明かしており、日本に帰国後には右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷と診断された為、約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療に専念すべく世界選手権出は断念しました。
この年、国民栄誉賞を授与された事には日本中の誰もが納得し悦ばしい気持ちになりました。
【2022年/27歳】
北京オリンピックで4位


引用:毎日新聞
史上初の3連覇を意識して臨んだ北京オリンピックでしたが、コロナ禍によりコーチ不在のまま出場する事になりました。
フリーの演技で後半で4回転トウループ+3回転のコンビネーションジャンプ・4回転トウループ+オイラー+3回転サルコウの3連続ジャンプを成功させましたが、前半の回転不足や転倒で大幅減点となり4位の成績に終わりました。
しかし日本スケート連盟の会長は、4回転アクセルへに挑戦し、認定された事は金メダル同等の価値がある記録!そして井奥に残る結果だと称賛していました。
羽生結弦にコーチがいない理由
羽生結弦さんはブライアン・オーサーコーチの元、カナダのトロントで練習を積み重ねていましたが、コロナ禍により2020年にコーチの元を離れて日本に帰国しました。


引用:朝日新聞デジタル
写真右:ブライアン・オーサーコーチ 写真左:羽生結弦
羽生結弦選手は2021年に行われた全日本に出場した際コーチ不在で挑んでいましたが、北京オリンピックもコーチ不在のまま出場する事になりました。



コーチ不在でオリンピックに出場するなんて、
前代未聞だったのではないでしょうか・・・
仙台のアイスリンクでコーチ不在にも関わらず4回転半ジャンプ(4回転アクセル)の調整等を続けていた羽生結弦選手は夜中に練習を行っていました。
コーチがいれば深夜まで練習させる事はなかったでしょうし、自身のルーティンを尊重したかった事にコーチも納得しての事でした。
自分の練習スタイルを自分で決めさせよう!とオーサーコーチも羽生選手の意向に背中を押してくれたのでしょう。
コーチ解任!等といった噂もありましたが、決して決別したわけではなく、オーサーコーチは羽生選手の意向を尊重してくれたのですね。
歴代コーチ


写真左から山田真美コーチ・都築章一郎コーチ・松田達義コーチ・阿部奈々美コーチ・ブライアン・オーサーコーチ
羽生結弦の歴代コーチ
●コーチ1人目:山田真美(1998年~2001年)
●コーチ2人目:都築章一郎(2001年~2004年)
●コーチ3人目:松田達義(2004年~2007年)
●コーチ4人目:阿部奈々美(2004年~2012年)
●コーチ5人目:ブライアン・オーサー(2012年~2020年)
羽生結弦の引退理由
羽生結弦さんの引退理由は年齢・体調・ライバルの引退等さまざまです。


引用:AERAdot
「決意表明」と題し会を開いた羽生結弦さんは、プロのアスリートとしてスケートを続けていく事を決意いたしましたと、あえて引退の文字を使わず、競技人生に幕をおろしました。
その理由について考えられる理由を見ていきましょう。
羽生結弦の引退理由5選
●年齢による限界を感じていた
●度重なるケガにより身体的に負担
●持病の喘息
●夢だった4回転アクセルに成功
●ライバルであるネイサン・チェンの引退
理由1:年齢
アスリートの選手生命は短く、羽生結弦さんは27歳で競技人生を終えました。
フィギュアスケート男子のピークは19歳~24歳と言われていますので、他のスポーツと比べるとかなり早いのではないでしょうか?
同じフィギュアスケーターである高橋大輔選手は28歳の時に引退されました。
理由2:度重なるケガ
羽生結弦さんは、右足関節外側靭帯損傷・三角靭帯損傷・右腓骨筋腱部損傷などのケガに悩まされています。
特に右足首は弱く、少しの衝撃で捻挫を引き起こしてしまう為、競技人生を続けていく事が困難だと判断したのでしょう。
理由3:持病の喘息
幼少期から小児喘息を患っており、コロナウィルスが流行し始めた頃から肺への負担を懸念していたのではないでしょうか?
特にデルタ株が流行していた頃は、肺や呼吸器に疾患がある方は要注意と日々ニュースでも取り上げられていました。
小児喘息はある程度克服できていた羽生結弦選手ですが、やはりそういった持病の事も不安要素だった事でしょう。
理由4:4回転アクセル成功
羽生結弦さんが以前から最後の夢として目標にしていたのが4回転アクセルです!
その4回転アクセルを成功させ、世界初の認定を受け為に最後の夢を叶えた羽生選手は、やりきった!といった想いがあったのでしょう。
引退の理由は1つではありませんが、足首への負担も考え、今後は無理に4回転を飛ぶ必要はないと判断されたのではないでしょうか?
理由5:ライバルの引退
羽生結弦選手の最大のライバルと言えば韓国系アメリカ人のネイサン・チェン選手です。


引用:日刊スポーツ
写真左:羽生結弦 写真中央:ネイサン・チェン 写真右:ビンセント・ゾウ



実はpara
ネイサン・チェン選手のファンです!
2022年に行われた北京オリンピックで金メダルを獲得したネイサン・チェン選手は、2022年に大学へ復学する為、競技人生に終止符を打ちました。
羽生結弦選手とネイサン・チェン選手は長年にわたり世界1を競ってきたライバルです。
そしてお互いにお互いの事を尊敬しあっており、ネイサン・チェン選手は、ユヅが居たからこそがんばれた!と豪語しています。
また羽生結弦選手も同じ気持ちだった事と思います。
そんな共に世界1を目指したライバルの引退は、羽生選手の中でも大きな決断材料になったのではないでしょうか?
まとめ
●名前:羽生 結弦(はにゅう ゆづる)
●生年月日:1994年12年7日(2023年8月現在 28歳)
●出身地:宮城県仙台市泉区
●最終学歴:早稲田大学人間科学部通信教育課程卒業
●2014年・2018年紫綬褒受賞
●2014年 ソチオリンピックで金メダルを獲得
●2018年 平昌オリンピックで金メダルを獲得
●2018年 国民栄誉賞受賞(個人としては最年少受賞者)
●2020年 最優秀選手賞受賞章
●2022年 競技会への参加は引退し、プロスケーターへ転向
●2023年8月4日 結婚を発表
●歴代コーチ:山田真美・都築章一郎・松田達義・阿部奈々美・ブライアン・オーサー
羽生結弦選手の学歴や経歴についてまとめてみましたがいかがでしたでしょうか?
オリンピックで世界一に2度も輝き、常に1番にこだわり続けてきた羽生結弦さんの努力や自身にストイックな方だという事がおわかりいただけたと思います。
また2023年8月4日に結婚を発表いたしましたが、その際夜の11時11分に発表されていました♪
「1」にこだわってきた羽生結弦さんらしくとても微笑ましかったです。
現在プロスケーターとして活躍されていますが、プライベートも充実されている様で安心しました♪