元阪神タイガース選手の横田慎太郎さん。
2013年のドラフト会議で阪神タイガースから指名され、その後は阪神タイガースで活躍しました。
しかし体の不調に襲われ、24歳という若さで現役を引退しました。
その後は講演会などを積極的に行うなどの活動をしています。
そんな横田慎太郎さんは一体どのような学生生活を送り、どんな経歴の持ち主なのでしょうか?
また、再現ドラマにもなった”奇跡のバックフォーム”についても気になりますよね。
今回のこの記事では
・横田慎太郎のWikiプロフィールについて
・横田慎太郎の学歴と学生時代のエピソードとは?
・横田慎太郎の経歴を時系列順にご紹介
・横田慎太郎の引退試合の【奇跡のバックフォーム】の3つの理由とは?
これらのことに注目してまとめていきます。
横田慎太郎さんのことが好きな方はもちろん、この記事をきっかけに横田慎太郎さんのことを知っていただけると幸いです。
横田慎太郎のWikiプロフィール
名前:横田慎太郎(よこた しんたろう)
国籍:日本
出身地:鹿児島県日置市
生年月日:1995年6月9日
年齢:28歳(2023年7月時点)
身長:187cm
体重:94 kg
プロ入り:2013年(※ドラフト2位)
趣味:部屋の掃除
横田慎太郎さんは鹿児島県日置市出身の28歳です。
身長が187cmと高く、がっしりした体つきで身体能力がとても高いことでも有名です。
プロに入団する前の体力測定では約170kgという背筋力で、これだけでもすごいのですがその後の2014年12月には220kgという数字を記録していてどれだけ努力してきたかが分かるかと思います。
その身体能力は打撃にも活かされていて、高い技術やセンスも持ち合わせています。
プロ入団2年目には、当時のゼネラルマネジャーで育成コーディネーターだった掛布さんに「高卒2年目で左打ちの外野手の中では松井秀喜選手以上だ」と絶賛されるほどでした。
また打撃だけではなく守備力においてもその実力はお墨付きの選手。
そんなこれから大いに期待される選手だった横田慎太郎さんでしたが、2017年のシーズンオフのキャンプ中に脳腫瘍が発覚します。
その後の2019年には引退していますが、講演会など積極的に前向きに生活されていました。
趣味は、なんと”部屋の掃除”。
こんな趣味からも横田慎太郎さんのまじめで誠実な人柄がうかがえますよね。
これからもっと伸びるだであろう時期の病気の発覚はかなりメンタル的につらかっただろうな…
横田慎太郎さんは引退後も踏みとどまることはせず、積極的な行動をしていたのが本当に尊敬するよね。
横田慎太郎の学歴と学生時代
【2008年/12歳】
日置市立湯田小学校卒業
【2011年/15歳】
日置市立東市来中学校卒業
【2014年/18歳】
鹿児島実業高等学校卒業
実は、横田慎太郎さんのお父さんである横田真之さんもロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズ、中日ドラゴンズ、 西武ライオンズなどで活躍したプロ野球選手でした。
横田慎太郎さんが生まれたのは、真之さんが西武ライオンズに在籍していた選手生活最後のシーズン中だったのです。
そのため、横田慎太郎さんは生まれて3~4か月くらいでお父さんである真之さんの現役最後の試合をお母さんと観に行っているのです。
さすがに生後3~4か月の頃なので、お父さんの選手としての活躍は記憶にはないです。
しかし、そこから横田慎太郎さんも野球選手を志すことになるのでDNAにはしっかりと刻まれているのかもしれませんよね。
お父さんである真之さんも野球選手だったということで、どんな学生時代を送っていたのか見ていきましょう。
親子でプロ野球選手だなんて、野球のエリートだね。
お父さんから野球を教わったりしたのかなぁ?
出身小学校/日置市立湯田小学校
横田慎太郎さんの出身小学校は
日置市立湯田小学校
です。
横田慎太郎さんの出身が日置市なので、地元の小学校に通われたんですね。
横田慎太郎さんは生まれは東京ですが、3歳の時に鹿児島県東市来町(※現在の日置市)に引っ越しをしています。
湯田小学校に入学し、小学校3年生の頃に”東市来町湯田ソフトボール少年団”に入団してソフトボールを始めています。
最初はソフトボールから始めたんだね。
小学3年生で入部って意外と遅かったんだね。
出身中学校/日置市立東市来中学校
日置市立湯田小学校を卒業した横田慎太郎さんは、
日置市立東市来中学校に入学
です。
日置市立東市来中学校も横田慎太郎さんの地元の中学校となりますね。
ちなみに、男女共学です。
小学校ではソフトボール部に入団しましたが、中学校では軟式野球部に入部します。
意外にも、中学生の頃まではお父さんである真之さんから野球を教えてもらったことはほとんどなかったのです。
ですので、自宅などでの自主練の際にはお母さんが練習に立ち会ったりすることが多かったんです。
意外にも野球という接点がありながらも一緒に練習をする機会もこの頃は少なかったんだね。
出身高校/鹿児島実業高等学校
日置市立東市来中学校を卒業した横田慎太郎さんは、
鹿児島実業高等学校へ進学
です。
鹿児島実業高等学校と聞くと、スポーツ好きの方でなくても部活動に力を入れていることで有名な高校ですよね。
鹿児島実業高等学校はサッカーの名門校であり、また野球部は第68回選抜高校野球で初優勝を飾っています。
また陸上部は全国高校駅伝に44回出場しているなど、部活動のその功績は素晴らしいものがあります。
横田慎太郎さんは、鹿児島実業高等学校に入学しもちろん野球部に入部します。
高校1年生の秋からは4番打者を任され、高校3年の時には4番打者と投手を兼務しています。
このことからも野球選手としてかなり期待値が高いことは分かりますが、それもそのはずで140km/h超の球を投げられるという腕の持ち主。
エースとしても活躍して高校通算で29本塁打という記録を残しているのです。
ちなみに、この横田慎太郎さんが在籍していた頃の硬式野球部の練習はかなり厳しく、ホームシックになる時間もないほどだったのです。
横田慎太郎さんも”辞めたい”と思ったりしていたのかと思いましたが、そこは横田慎太郎さんの努力好きな性格で辞めたいと思ったことはなかったのです。
鹿児島実業高等学校に入学してから、横田慎太郎さんは硬式野球部の寮で暮らしています。
野球での厳しく忙しい日々の中でも、高校生活で3年連続学級委員長を務めていました。
もちろん、野球の練習で疲れたと言って学校生活で手を抜くことはなく、また偉ぶることもなかった生徒だったのです。
その人柄の良さは周りも認めていて、担任教師だけでなくクラスメートからも絶大な信頼を得ていました。
ちなみに、この鹿児島実業高等学校出身の野球選手がこちらです。
これだけの選手が誕生しているし練習は相当厳しかっただろうけど、それについていく横田慎太郎さんはすごいよね。
横田慎太郎さんは野球だけでなく、他の面でも優れていて人気のある生徒だったんだね。
横田慎太郎の経歴
【2014年/18歳】
ドラフト会議で指名され、阪神タイガースに入団
【2015年/19歳】
一軍でのプレー
【2016年/20歳】
スタメンで一軍デビュー
【2017年/21歳】
体調不良による入院
【2018年/22歳】
体調回復しキャンプ参加
【2019年/23歳】
現役引退発表
【2020年/24歳】
講演やコラム執筆などの活動
【2021年~2022年/25歳~26歳】
自身初の著書”奇跡のバックホーム”が発売
【2023年/27歳~28歳】
脳腫瘍のため永眠
【2014年/18歳】
ドラフト会議で指名され阪神タイガースに入団
横田慎太郎さんがまだ高校3年生の2013年にNPBドラフト会議が行われました。
横田慎太郎さんは阪神タイガースから2巡目で指名されます。
当時の担当スカウトだったのは田中秀太さん。
この年に桧山進次郎選手が引退したこともあり、桧山選手が22年間背負っていた”背番号24”を、横田慎太郎さんが引き継ぐことになりました。
【桧山進次郎(ひやま しんじろう)】
・京都市出身の元プロ野球選手で、野球解説者、野球評論家
・現役時代は、通算代打起用回数・代打安打数・代打打点数は全て歴代2位という記録を保持
・代打の神様と呼ばれ、人気の選手
そして、横田慎太郎さんの契約内容がこちらです。
その後の2014年に初の屋外打撃練習で、横田慎太郎さんは飛距離の長い打球を連発し、周囲を驚かせます。
このシーズンでは二軍生活ではありましたが、7月17日に行われたフレッシュオールスターゲームではウエスタン・リーグ選抜チームのスタメンに選ばれます。
【2015年/19歳】
一軍でのプレー
横田慎太郎さんの春季キャンプでの打撃内容がしっかりと評価され、オリックスとの練習試合~オープン戦の中頃まで一軍でプレーすることとなります。
ただ、一軍の公式戦への出場機会には恵まれませんでしたが、シーズンの終了後にはアジア・ウィンター・リーグのNPB選抜チームへ派遣されます。
そこでは、打率.302、2本塁打という成績をしっかりと残しました。
【アジア・ウィンター・リーグとは?】
2015年11月28日~12月20日まで中華民国(台湾)で行われた野球のウィンターリーグ
【2016年/20歳】
スタメンで一軍デビュー
2016年には横田慎太郎さんは入団後、初めて春季沖縄キャンプに参加することとなります。
そして迎えたオープン戦では、金本知憲監督の指示で連日スタメンに起用され開幕一軍入りを果たしました。
また、横田慎太郎さんのお父さんである真之さんもロッテに在籍していた頃に、一軍の開幕戦でスタメンに6回起用されていたので親子揃っての一軍開幕戦へのスタメン出場という快挙でした。
その後の試合でもスタメン出場して活躍を見せますが、出塁を意識しすぎたことが影響し、打撃のフォームや調子がふるわず、一軍と二軍を2度にわたって行き来することになりました。
【2017年/21歳】
体調不良による入院
そして2016年に続き、沖縄での春季キャンプに参加。
一軍に多く出場するために一塁の守備練習にも熱心に取り組み始めました。
そんなキャンプの中、原因が分からない頭痛が引かないので参加選手の中では一番早くキャンプを離脱することになりました。
その後半年くらいはチームから離脱していましたが、9月2日からトレーニングを再び始めます。
トレーニングを再開した翌日には
・精密検査をした結果、脳腫瘍と診断
・半年かけて入院加療によって軽快が確認
と公表します。
その後阪神球団は、横田慎太郎さんが2018年2月のキャンプに参加できるのを目標にしてリハビリができるようにと11月16日付で育成選手契約を結びました。
また、横田慎太郎さん支配下登録選手に復帰するまで、背番号24を空番として扱うことに決めました。
球団が横田慎太郎さんの復活を待ち望んでいるのがとっても伝わるよね。
横田慎太郎さんの周りには、支えてくれる仲間がたくさん居ただろうね。それもきっと横田慎太郎さんの人望が大きいよね。
【2018年/22歳】
体調回復しキャンプ参加
その後の横田慎太郎さんは体調を回復し、安芸春季キャンプの初日から参加しています。
実戦復帰という目標を持ち、横田慎太郎さん専用の練習メニューで調整しながら練習に参加します。
目標であった実戦復帰はできませんでしたが、体調は少しづつ回復していきました。
規約に沿う形で育成選手から自由契約選手となりましたが、11月15日には育成選手として球団と再契約しています。
【2019年/23歳】
現役引退発表
この年も春季キャンプに参加した横田慎太郎さん。
しかし、視覚的な回復がなかなか戻らず実戦復帰には至りませんでした。
球団からは翌年も育成選手契約としての契約を提案されますが、横田慎太郎さんは引退を決意します。
9月22日には現役を引退することを正式発表しました。
【2020年/24歳】
講演やコラム執筆などの活動
体調不良によって現役を引退した後も、阪神球団から”阪神タイガースアカデミー ベースボールスクール”でのコーチ就任の話を提案されます。
しかし、横田慎太郎さんは体調の不安も残っていたことを理由に断っています。
その後、自分の出身地である鹿児島県に帰りました。
鹿児島に帰ってからは、”一人での生活に挑戦したい”との本人の願いで一人暮らしをしています。
そして、講演やコラム執筆など活動をし始めます。
2021年には、鹿児島市の鹿児島商業高校で講演しています。
その講演では”諦めない心”というテーマをもとに講演し、病気を発症した時の思いや周囲に支えられた闘病生活などを語りました。
また自分自身の経験を通して
自分のことを信じて目標を持ち、少しづつ前進して下さい。
このように生徒によびかけました。
色々な経験をしたからこそ、この言葉の大切さが伝わるよね。
きっと生徒の心にも届いたと思うわ。
【2021年~2022年/25歳~26歳】
自身初の著書”奇跡のバックホーム”が発売
2021年5月12日、横田慎太郎さんのこれまでの人生を振り返って綴った初めてとなる著書”奇跡のバックホーム”が発売されます。
また2022年には、この本をもとにした「奇跡のバックホーム」というドラマが朝日放送テレビで放送されました。
このドラマには、阪神ファンと公言している俳優の間宮祥太朗さんが横田慎太郎さん役を演じています。
【2023年/27歳~28歳】
脳腫瘍のため死去
講演や執筆活動に頑張っていた横田慎太郎さんでしたが2022年3月に検査の結果、腫瘍の再々発が分かります。
そして2023年の春頃に治療が終わり療養生活を送っていましたが、7月18日に脳腫瘍のため永眠されました。
28歳という若すぎる生涯でした。
引退試合の【奇跡のバックフォーム】とは?
横田慎太郎さんが書いて書籍となった”奇跡のバックホーム”が気になっている方も多いのではないでしょうか?
この”奇跡のバックホーム”というのは、横田慎太郎さんの引退試合でのプレーのことを指します。
ではなぜ、この横田慎太郎さんのプレーが奇跡と言われるのかについてですが、実は3つの理由があるのです。
それがこちら。
①横田慎太郎さんは完全にはハッキリと目が見えない視力状態だった
②監督が横田慎太郎さんが守備につく時のダッシュが好きで、8回裏にセンターに付いた
③ソフトバンクの選手たちは横田慎太郎さんのところに打たないように決めていた
こちらの動画をご覧下さい。
これは、2019年9月26日に行われた鳴尾浜でのウエスタン・リーグ最終戦の様子です。
阪神タイガースVS福岡ソフトバンクホークスの試合で8回2アウトからセンターの守備に横田慎太郎さんが入っています。
そして、センター前に跳んできた打球を横田慎太郎さんはホームにノーバウンドで正確に送球しているのが分かるかと思います。
横田慎太郎さんの送球のおかげで、見事に相手選手をアウトにすることができました。
ではここからは、より詳しくこの”奇跡のバックホーム”についてみていきましょう。
①横田慎太郎さんは完全にはハッキリと目が見えない視力状態だった
上記の動画を見ていても、まさかこの時横田慎太郎さんの視力が万全でないとだれが思うでしょうか?
実は、
完全にはハッキリと目が見えない視力状態で、感覚だけで打球をキャッチしホームにノーバウンドで送球した
これには、観客も感動しました。
この出来事は、横田慎太郎さん自身も鳥肌が立ったと話していました。
なんせ、あの打球は横田慎太郎さんにとって一番見えにくい打球でした。
ボールが二重に見えてしまい、距離感もつかめないし、バウンドする場所もわからないほどの予測不可能な打球。
そんな難題を、横田慎太郎さんはプロとなり6年目の最後の試合で、生涯に残るベストプレーを見せれました。
②監督8回裏にセンターに付けさせた
実はこの試合で、横田慎太郎さんはセンターに入る予定はなく、監督には”ライト”を守りたいと話していました。
というのも、横田慎太郎さんは病気を患うまではセンターを守っていたのですが、復帰後はライトのボールが見やすいことからライトの練習をしていたからです。
しかし、横田慎太郎さんの”ライト”という言葉を聞いた監督は
遠慮なんかしなくていい
横田が3年目に開幕スタメンとったのはセンターだっただろう
エラーしても何してもいいから、センターに入れよ。
監督は背中を押してくれました。
そして、横田慎太郎さんはセンターとして9回1イニングという予定でした。
しかし、試合の8回途中で監督が突然横田慎太郎さんに”キャッチボールしておけ”と伝えました。
まさかの早い出番に、横田慎太郎さんはかなり焦ります。
そんな驚いたのもつかの間、8回裏でセンターに横田慎太郎さんをつけさせました。
実は監督は、横田慎太郎さんが守備につくときにダッシュで向かう姿が好きでした。
その姿をファンの方にも見せたいという計らいもありました。
試合後に監督は「みんな横田ばっかりほめるな~。俺もほめろよ。」と話していたとか…
横田慎太郎さんと監督の絆の分かるエピソードですよね。
③ソフトバンクの選手たちは横田慎太郎さんの方に打たない
そして3つ目の理由として、ソフトバンクの選手たちは、
横田選手のところには打たない
と決めていました。
相手のソフトバンクホークスの選手ももちろん、横田慎太郎さんの視力については知っていたのでセンター方向には打たないように決めていました。
それでも横田慎太郎さんの方に吸い込まれていくように飛んだ打球は、ソフトバンクホークスの選手も、「不思議と飛んでいってしまうんだなぁ。」と話しています。
しかも、バックホームの送球がノーバウンドということも奇跡と言えます。
横田慎太郎さんはそれまでノーバウンドでキャッチャーに返球できたことがなく、これまでの練習でもできませんでした。
こうして、様々な奇跡が重なり奇跡のバックホームとなりました。
この奇跡のバックホームはまさに神様が横田慎太郎さんの背中を押してくれた瞬間だったと言えるでしょう。
全ての出来事が本当にドラマのようだね。
きっと神様は横田慎太郎さんの今までの行いを見守っていてくれたんだとさえ思うなぁ。
まとめ
ここまで横田慎太郎さんについて色々とまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか?
最後に簡単にまとめてみると
・鹿児島県日置市出身の28歳
・最終学歴は鹿児島実業高等学校
・2014年18歳でドラフトで指名され阪神タイガースに入団
・2019年23歳の時に病気により、現役引退
・引退後も講演やコラム執筆などの活動を行う
・2023年28歳で脳腫瘍のため永眠
・奇跡のバックホームは3つの奇跡が重なった
横田慎太郎さんは、野球だけでなく学級委員などもしっかりと務める頼りがいのある信頼の厚い素敵な学生でした。
病気のために引退した後も、自分のできることをしっかりと務めあげていたことと思います。
”奇跡のバックホーム”は偶然が重なった奇跡のようにも思いますが、横田慎太郎さんが起こした必然だったのではないでしょうか?
最後まで自分らしく生きた横田慎太郎さんの姿は、これからもきっと皆さんの勇気になり教えになることと思います。