佐藤風雅の学歴(中学/高校/大学)や陸上の経歴などWikiプロフ!生い立ちや家族構成は?

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世界陸上ブタペスト2023男子400m4x400mリレーに出場予定の佐藤風雅選手

前回のオレゴン大会に続いて2大会連続の出場です。

佐藤風雅選手が本格的に陸上を始めたのは高校生の時

高校時代は無名の選手でしたが、作新学院大学相馬監督に実力を見出され実力を開花し、社会人を経て日本代表に選ばれるまでに成長します。

そんな佐藤風雅選手のことが気になる人も多いのでは?

そこで、今回は以下のことについてまとめてみました。

・佐藤風雅選手のwikiプロフィールが知りたい
・佐藤風雅選手の学歴・経歴が知りたい
・佐藤風雅選手の家族構成について知りたい

それではいってみましょう!

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目次

佐藤風雅のwikiプロフ

ここでは佐藤風雅選手のプロフィールを紹介します。

引用元:JAAF公式サイト

<佐藤風雅プロフィール>
名前:佐藤風雅(さとう ふうが)
生年月日:1996年 6月1日 27歳(2023年8月現在)
出身地:茨城県笠間市
出身大学:作新学院大学
競技:陸上
種目:短距離走
所属:那須環境技術センター→ミズノ

佐藤風雅選手は、茨城県笠間市の出身です。

陸上選手だった父親の影響で、子供のころから走るのが好きだったそうです。

中学時代は野球部に所属していましたが、足の速さを買われて陸上部の助っ人として駅伝に出場したのが走ることとの出会いでした。

高校に入ってからは陸上部に入部し、本格的に陸上を始めます。

高校では全国レベルとまではいかず、「陸上の才能がないのかも」と陸上をやめようと考えたものの、栃木県にある大学からスカウトを受け、大学入学と同時に栃木へと引っ越しました。

大学に入ると才能が開花し、入学すぐの記録会で自己ベストを更新します。
そして、毎年のように自己ベストを更新しますが、大学4年の時に原因不明のスランプに陥ります。
結果の出ない日が続きましたが、監督が一緒に悔しがったり泣いてくれたことが印象に残っているそうです。

大学卒業後は栃木県内の会社に就職し、フルタイムで働きながら陸上を続けますが、仕事と陸上の両立が難しくなり、2年後に那須環境技術センターへ転職。

そして、2023年4月、陸上の名門『ミズノ』へ移籍。
26歳でミズノへ移籍するのは異例のことだそうです。

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佐藤風雅の学歴

ここでは佐藤風雅選手の学歴を紹介します。

<学歴>
2008年4月笠間市立友部中学校入学
2011年3月笠間市立友部中学校卒業
2011年4月茨城県立中央高校入学
2014年3月茨城県立中央高校卒業
2014年4月作新学院大学入学
2018年3月作新学院大学卒業

佐藤風雅の出身中学

佐藤風雅選手の出身中学は笠間市立友部中学校です。

中学校では野球部に所属
足の速さを生かしたスポーツをしたいとの考えからでした。

その足の速さを買われて、陸上部の助っ人として駅伝大会に出場します。

それが陸上との出会いでした。

しかし、「自分には長距離は向いてないかも」と感じ、選んだ種目は400mでした。
校内の陸上競技大会で優勝し、手ごたえを掴みます。

佐藤風雅の出身高校

佐藤風雅選手の出身高校は茨城県立中央高校です。

高校では陸上部に入部し、本格的に陸上を始めます。

入部当初は全く結果が出なかったのですが、練習を重ねていくうちに結果が出るようになり、
高校2年関東大会に出場。
高校3年の時は県大会で優勝しました。

しかし、関東大会の予選で敗退しインターハイの出場はなりませんでした。

高校に入って、着実に成果を上げた佐藤風雅選手でしたが、先刻大会にいけなかったことで「陸上の才能がないのかも」と考え、高校で陸上をやめようと考えていました。

しかし、作新学院大学陸上部相馬監督からの熱心なラブコールをうけ、陸上を続けることを決意します。

佐藤風雅の出身大学

佐藤風雅選手の出身大学は、作新学院大学です。

大学入学を機に栃木県へ引っ越します。

大学では毎年自己ベストを更新するなど、突如才能が開花します。

しかし、大学4年になると原因不明のスランプに陥ります。
練習は出来ているのに、思うように結果が出せなくなってしまいました。

そんな時、佐藤風雅選手に寄り添ってくれたのは相馬監督でした。
一緒に悔しがって泣いてくれたことが印象に残っているそうです。

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佐藤風雅の経歴

ここでは、佐藤風雅選手の経歴を紹介していきます。

那須環境技術センター時代

引用元:JAAF公式サイト

大学を卒業後は栃木で就職した佐藤風雅選手

フルタイムで働きながら陸上を続けていました。
しかし、業務が忙しくなるにつれて陸上との両立が難しくなりました。

そこで、両立ができる会社を探して、那須環境技術センターに転職します。

16時まで勤務し、その後は練習という毎日を過ごしました。

ただ、会社からサポートしてもらえる遠征費用は限られていて、自己負担が増えてしまい、出場する試合を絞らざるを得ない状況でした。

そこでクラウドファンディングを利用し、資金を集めて活動していました。

佐藤風雅選手の主な成績は以下の通りです。

2020年 日本選手権 400m 3位
2021年 日本選手権 400m 5位
2022年 セイコーゴールデングランプリ 400m 2位
2022年 世界陸上 4x400mリレー 4位入賞
 日本新記録(アジア新記録)

2022年5月、セイコーゴールデングランプリ決勝に進出

45秒40自己ベスト2位に入りました(日本人1位)

日本人歴代8位の好タイムです!

2022年7月、世界選手権4x400mリレーでは第1走者として出場。
日本新記録(アジア新記録)4位に貢献しました。

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ミズノへ移籍

こうして着々と実力をつけてきた佐藤風雅選手でしたが、2023年4月より「ミズノトラッククラブ」に移籍します。

ミズノ」といえば、言わずと知れた陸上界の名門で、これまでの数々の名選手が所属していました。
そんな名門チームに「自分が所属するのは信じられない気持ち」と語っています。

ミズノに移籍してからの成績は以下の通りです。

2023年4月 出雲陸上 300m 1位
2023年5月 日本選手権 400m 2位
2023年7月 アジア選手権 400m 2位
2023年7月 アジア選手権 男女混合4x400mリレー 3位

2023年7月のアジア選手権では400mで銀メダル混合4x400mリレーで銅メダルと2個のメダルを獲得しました。

佐藤風雅の家族構成

佐藤風雅選手の家族構成について調べてみましたが、情報は見つかりませんでした。

ただ、父親は元陸上選手で、インターハイの出場経験もあるそうです。

子供の頃から走ることが好きだったのは、父親譲りなのかもしれませんね。

佐藤風雅選手彼女がいるのか、結婚しているのかも調べてみましたが、こちらも残念ながら情報は出てきませんでした。

何か情報がわかれば更新しますね。

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まとめ

以上、佐藤風雅のwikiプロフィール、学歴や経歴について紹介してきました。

まとめると以下のようになります。

・佐藤風雅が陸上を始めたのは高校生の時
・佐藤風雅選手は高校時代は無名だった
・佐藤風雅選手は社会人になってブレイク
・佐藤風雅選手の父親はもと陸上選手

佐藤風雅選手が陸上を始めたのは高校生の時で、まだ無名でした。

高校、大学、社会人と陸上の世界を駆けあがる度に、その実力の高さに戸惑いながらも努力を重ねて着実に成長してきました。

佐藤風雅選手は自分のことを「遅咲きの選手」と言います。
そして、「遠回しているかもしれないけれど、陸上人生は楽しい」とも。

世界陸上では400m決勝に進んでもらいたいです。

みんなで応援しましょう!

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